人間の死生観にまで手を突っ込む与党の暴挙−−臓器移植法改正

 今の日本人はどこまで、自らが主権者であり政治を監視するべき存在であるということを忘れほうけているのだろうか。その間に与党はどんどん暴走を続けているというのに。


 臓器移植法改正について伝えるこの記事は極めて重大な内容を含んでいる。一部引用しておく。

 現行法は臓器移植をする場合に限り、脳死を人の死と認める。臓器提供者は15歳以上とされているが、これに対する改正案は、(1)脳死を一律に人の死とし、15歳未満の臓器提供や本人の拒否がない場合の家族同意による臓器提供を認める(2)現行法の枠組みを維持し、意思表示を認める年齢を現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる――の2案が提出されている。


 本ブログでは既に以前にこの問題に関して詳しく論じたので、一々繰り返すつもりはないが、重要な点だけ再度記しておくと、いわゆる脳死状態は真の意味での人間の死でない可能性が高い。というのは、例えば脳死状態の人から子どもが生まれることがありうるからである。死から生が生じるわけはない。したがって、いわゆる脳死状態は真の意味での人間の死でない可能性が高い、否、真の意味での人間の死を意味しないと言い切ってよいのではあるまいか。ではなぜ、脳死状態での臓器移植を認めようとする動きがあるのか。答えは明白で、要するに「生きのよい」臓器の供給を増やしたいからである。繰り返すが、「生きのよい」臓器の供給を、である。これを聞いて話がおかしいと思わない人は、失礼ながら頭がどうかしていると言わざるをえない。


 よく考えることをお勧めしたいが、もし今回の法改正が通ったらどうなるか、最も典型的と思われる状況を想像しておきたい。それはたぶん次のようなものだろう。すなわち、上で引用したうちの(1)のケースで、本人が臓器提供の意思を予め表示していなかった場合である。脳死状態にある本人を前に気が動転している家族に対して、医者の側は、臓器移植を待っている人々が多数いることを告げ、臓器提供を認めるよう家族に勧める。人助けになるのならと思う家族は、動転している中でそれ以上考えることなしに、医者の勧めに従う。ところが、既に述べたように、脳死状態の人は実は死んではいない。つまりそのような人は、確かに死に至る可能性は高いのだろうが、しかしなお、全く無防備な最弱者として、人生の最後の時間を迎えつつある状況にいるのである。そのような状況にある人から臓器を取り出すことは、何を意味するのか。言うまでもない、断末魔の苦しみを進んで与えることと言ってよいだろう。臓器移植の際にはまず間違いなく麻酔が打たれるという事実は、臓器を取り出される側が痛がるということをこの上なく雄弁に語っている。かくて、家族が臓器移植に同意することは、死に行く者に対して最後の苦しみ(しかも、よく想像していただきたい、臓器摘出などということは、健康な人間にとってもとてつもない大打撃を意味する話なのである)を与えることになるのである。


 今の政治家は歴史に対しても倫理に対しても見識がなさすぎる。現在提出されている臓器移植法改正案を認める政治家たちは、自ら脳死状態になって、或いは自分の家族に脳死状態になってもらって、まず臓器提供をすることをお勧めしたい。そうでもしなければ、この法案の滅茶苦茶さは彼らには理解できないと思われるからである。


追記(4月25日)
 YouTube脳死臓器移植に関して次の映像が見られる。
 「脳死移植を考える」(約7分半)
 「脳死移植を考える2」(約7分半)
内容的には甚だ中途半端にも見えるが、この種の報道の中で比較的臓器移植に対して抑制的な報道をしていると認められるものである。視聴をお勧めしておく。