教育再生特別委員会での首相・文科相の不埒極まる発言

 4月20日の教育再生特別委員会の映像を見たが、答弁における安倍と伊吹の不埒極まる詭弁には必ず触れなければならない。会議録が出るのを待ってこの項を書き改めることにしたい。


追記
 以下会議録から引用し、コメントを加えることにする。この委員会の時に問題となったのは、例の沖縄戦での集団自決に軍の関与があったかなかったかという点で、これより少し前に教科書検定で、軍の関与があったとする教科書の記述がすべて修正させられた(軍の関与については触れるなという意味での修正要求)ということがあった、その点をめぐる話である。なお、引用に当たっては、文意を変えない範囲で一々断らずに言葉を省略していることをお断りしておく。

○菅(直)委員 今、沖縄の皆さんが大変怒っておられることがあります。


 それは、まさに今おっしゃった六十年前の戦争で、沖縄の皆さんは、米軍の上陸の中で、県民の四分の一あるいはそれ以上の方が命を落とすという大変悲惨な体験をされました。その中で、集団自決ということがあちらこちらで起きて、そのことが、従来は、軍の指示あるいは命令による集団自決という形で教科書に載せられていたということでありますが、それが検定の中で外されるということになってきた。これに対して、これはきょうの沖縄タイムスでありますが、沖縄タイムスの中では、軍の命令だったということを、軍命ということを、実際に体験した人々がいろいろ証言されている、そういうきょうの新聞がここに、手元にあります。


 この検定の過程について、どういう議論があったのか、説明を、大臣でもどなたでもいただきたいと思います。


○伊吹国務大臣 自公の大臣あるいは自公のイズムで教科書が決められるということはありません。また、菅さんが総理になられてもそういうことをやってもらっちゃ困るというのは、これは日本の仕組みです。


 したがって、私がこのことにお答えするというのは本来極めて不適切だと思いますが、家永裁判以降の検定のあり方というのは、教科書に対する客観的な専門家の調査によって、両論あることを一方だけ書くということはやらない、あるいは自分のイズムでもって書くということは認めない。


 ですから、客観的な記述になっているかどうかということだけをやっているわけで、今の御指摘についていえば、私は検定結果ということに介入をしておりません。その結果を後で教えてもらっただけですが、集団自決に対して軍の関与がなかったとは書いていないんですよ。あったということについてはいろいろな説があるから、そこのところは中立的な記述にするということだけであって、あったとか全くなかったとか、そういうことは一切書かれていない、そういう議論が行われたということでございます。


○菅(直)委員 四年前の検定では軍の命令というものが記述されていて、今回それが、検定で意見が付されて、そして修正された。それが間違いないとすれば、前回と今回、どういう根拠でそれの判断が変わったんですか。


○伊吹国務大臣 これも、根拠について私がお答えするということは、私は検定内容に立ち至っているということですから、本来不適当だと思いますが、検定の後、先生の御質問と同様の質問が幾つか国会でありましたので、そのプロセスを事務当局に、つまり検定審議会の事務局を務めている文科省の課に伺ったところ、その後、御承知のように、そうではないんだという裁判を起こされている方もあり、その裁判の中で両方の御意見があった、だから一方に偏った記述をするということは避けるべきだという検定意見があったということでございます。


○菅(直)委員 そこが大変問題なんですよね。


 当時の客観状況、つまり、昭和二十年の三月、米軍が上陸してきた時点で沖縄は完全な軍政下にありました。そして、軍、官、民、共生共死、つまり、軍人と官僚と民間人はともに生きともに死ぬ、そういう考え方が徹底をされておりました。そして、当時の、やめてはおりますが、陸軍大将であった東条英機大将が戦陣訓の中で、生きて虜囚の辱めを受けるな、このことを軍人に対して徹底をしていた時代であります。


 また、自決された多くの方は、手りゅう弾によって自決をされております。その手りゅう弾は、軍が持っていたものが何らかの形で多くの県民に渡されて、それによって自決をされております。それ以外の手段の方もおりますが、それによって自決をされております。


 こういう全体の状況から見れば、軍政下にあって、いろいろな事例があるでしょう、島や、沖縄のいろいろな場所がありますから。その中で、部分部分でどういう指示が明示的あるいは暗示的にあったかは別として、トータルとしては、共生共死、ともに生きともに死ぬんだ、玉砕なんだ、徹底抗戦なんだ、その中で、最終的に、自決をされた人が、軍から配られた手りゅう弾で命を落とす。これが軍の命令あるいは軍の指示によるものでないとなぜ言えるんですか。


 一つの裁判が行われていることは知っています。まだ結論は出ておりません。また、その裁判は、個別のある軍人が何を言ったかというところでの議論だと聞いておりますけれども、この沖縄の集団自決という問題は、裁判になったところももちろんありますが、裁判に関係のない地域でも、かなりの規模で起きたと言われておりまして、そう考えると、イズムに影響されるべきでない、総理もそう言われ、伊吹大臣も言われますが、このことを推し進めたグループは、たしか自由主義史観研究会という方が一生懸命だと思いますが、総理、この代表の藤岡さんという方は御存じなんじゃないでしょうか。いかがですか。


安倍内閣総理大臣 知っていることとそれは全く関係ないんじゃないですか。だれを知っているかということを一々この委員会で私が答えるのに何が意味があるんですか、この教育三法案と。(発言する者あり)


○菅(直)委員 いいですか。総理が割と切れやすいのは聞いていましたが、きょう午前中、中山さん……(発言する者あり)きょう午前中の中山さんが質疑をされましたよね、従軍慰安婦について。従軍慰安婦について中山さんもされておりましたけれども、この問題を取り上げている中心的なグループの、教科書をつくる会の副会長で、また、今申し上げた自由主義史観研究会の代表で、その方は、何度か中山さんや、あるいは中川政調会長のもとにいろいろと陳情されているので、一つのイズムを持った方だと思うんですよ。


 問題なのは、しきりと伊吹大臣あるいは総理までが、イズムに左右されないバランスだと言われるから、バランスがとれた判断がされているんですかということをお聞きしたくて、総理、こういう方を御存じですかと言った途端に、何でそんなに切れなきゃいけないんですか。


 もう一度お聞きしますが、この方とお会いをされて、従軍慰安婦とかあるいはこの沖縄の集団自決について、陳情を受けられたり、あるいは議論をされたことはありませんか。


安倍内閣総理大臣 まず、切れたという、いきなり決めつけは失礼ですよね、それは。だれが考えたって。私は菅さんより切れにくいと思いますけれどもね。はっきり申し上げておきますけれども。


 そこで、藤岡さんはこの検定には全く関係ない方ですから、検定に全く関係ない方について、知っているかどうかということをこの委員会で聞くのは全く無意味な質問だな、こう思い、そう申し上げたところでございます。

 議論の途中だが、安倍は他人の批判を受けつけないと聞くが確かにそのとおり、こういう応対を見ても、安倍お坊ちゃんがいかに度量の小さな人間であるかということがよくわかるというものである。


 委員会の審議の続きを見ることにする。

○菅(直)委員 総理や文科大臣自身が、イズムに左右されない、バランスをとったということを言われたから、そういう強烈なイズムを持った方の主張をお聞きになったことがありますかと聞いたら、何でそれを聞いちゃいけないんですか。なぜそれが全く議論がないんですか。教科書問題というのはこの委員会で取り上げちゃいけないんですか。教科書をつくる会というのは、教科書問題でまさにこの自虐史観のことを追及しているグループなんでしょう。


○伊吹国務大臣 教科書検定調査会というものは全く中立的な立場で御判断をされて、そして、その御判断について、家永裁判以降どういう判決があり、どういう運用をしているかというと、文部科学大臣の諮問機関として、教育的、学術的専門家である教育職員、学識経験者を委員とする教科用図書検定調査審議会が設置され、文部科学大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われているということであって、藤岡さんとかなんとかの歴史の会だとかという方に、私も、総理、総理は、それは総理になる前にお会いになっていたかわかりませんが、教科書検定については一度も我々は会ったこともありませんし話したこともありません。


○菅(直)委員 それでは、少し話の角度を変えて申し上げてみます。いいですか、先ほどのことです。


 先ほど申し上げたように、当時の沖縄の全体状況を考えますと、軍から渡された手りゅう弾で自決された方が大勢いたということが、軍の関与があったかなかったかについては両説あるから中立的な形に表現をするようにしたという担当者からの説明を受けたと、先ほど伊吹さん、たしか正確に言えばそう言われましたね。


 しかし、軍の関与があったかなかったか両説あると言われましたが、今申し上げましたように、私の知る限り、あるいは沖縄の体験者が知る限り、当時の状況を知る限り、個人が手りゅう弾を持っていますか、一般民間人が手りゅう弾を持っていますか。軍が持っている手りゅう弾が何らかの形で一般の人たちに配られて自決をしたときに、軍の関与がなかったという主張が、それは主張する人がいるかもしれませんが、主張が成り立つとは思えませんけれども、聞いておられる皆さん、いかがですか。


○伊吹国務大臣 聞いておられる方がどういう判断をされるかは、聞いておられる方にまずゆだねたいと思います。


 まず、菅さんは、それじゃ、自決をされた方はすべて軍の強制によって自決をされた、そしてすべて……(発言する者あり)いやいや、ちょっと待ってください。だから、すべて手りゅう弾で自決をされたと言い切れないでしょう。だから、先ほどから言葉を選んでうまく言っておられますよ、多くの方はとか、ある地域ではと。


 だから、今回の、私が直接関与しているわけではないけれども、専門家が言われたのは、軍の関与がなかったなんて一言も言っていないんですよ。軍の関与がすべてあったということではないということを言っているだけなんですよ。だから、一方に偏った記述はしないんだというだけのことです。


○菅(直)委員 今また伊吹さん、うまく言葉を継ぎましたね。すべてという言葉を入れましたよね。しかし、今度の検定は、別にすべてということを言っているんじゃありません。沖縄でそういう歴史的事実があったかなかったかという検定なんです。軍が関与してそうした集団自決があったかなかったかということなんです。


 それは、そのケースが一件であったか百件であったか、あるいは、いろいろな形の自決があった中で、それが一割であったか五割であったか、それを聞いているんじゃないんです。すべてであったかどうか、それは私も、すべてというのは一般的にあり得ないでしょう、すべてという言い方は。現実に、手りゅう弾がなくて、かまや他のものでお互いに殺し合う形で自決したという報告もありますから。


 しかし、軍が関与した、そういう形での集団自決があった。今、文科大臣がすべてということを言われた。逆に言えば、すべてではないけれども、少なくともそういう事実があったということを半ば含んでおられます。それならちゃんと認めるべきじゃないですか。なぜそれを、四年前まで認めた検定を変えられたのか、その根拠をお聞きしているんです。


○伊吹国務大臣 何度も申し上げているように、すべてのことについて軍の関与があれば、ということが真実であれば、そのような教科書ができるんですよ。だけれども、すべてあったか、すべてなかったか、どちらでもないから、一方的な記述はよくないという検定をされたんだと私は理解しております。


 菅さんも、もう十分よくおわかりになってテレビの前でうまくお話しになっているんですよ、すべてのとか、あらゆるところと。


 だから、今回は、全くなかったなんということは一言の検定意見としても付されておりませんよ。だけれども、全くあったということもないということなんですよ。


○菅(直)委員 四年前にどういう表現、あるいは、今回も、申請段階での表現と検定後の表現が書かれておりますが、検定前の表現にも、すべて軍の関与があったとかということを書いた検定前の段階の文章はありません。すべてなんて書いた検定前の文章はありません。いろいろな表現になっておりますが、そういう事実があったということが触れられているわけで、何もすべてだと言っているわけじゃありません。


 それを、すべてとは言えないから今回からはだめですよというのは、何らかの判断が変わったと見ざるを得ないんですが、どういう理由で変わったんですかということを私はお聞きしているんです。


○伊吹国務大臣 何度も申し上げておりますが、すべてなかったということもなければ、すべてが軍の強制によって行われたという記述もないわけであって、今お話しになったように、軍の強制があった一部においてはとかという教科書になっていますか、従来の教科書が。なっていないんじゃないんですか、従来の教科書は。だから、誤解を生む表現はやめようという検定結果が出たということですよ。

 ここまで来れば話のポイントは明らかだろう。つまり、教科書検定で問題となったのは、集団自決について軍の関与があったという教科書の記述が修正要求によって削られたということである。「すべての集団自決について軍の関与があった」という記述ではなく、単に「集団自決について軍の関与があった」という記述が修正の対象となったのである。それなのに、伊吹という大臣は、「すべてが軍の強制によって行われたわけではないから、軍の関与があったという記述は誤解を生むのでやめにしようという検定結果が出たのだ」と説明している。明らかに話をすりかえている。問題が問題なだけに、実に許しがたい詭弁と言えよう。


 委員会の審議の続きを見ることにする。

○菅(直)委員 では、これは総理にもう一度、当時の全体状況の見方について御意見を聞きたいんですね。


 昭和二十年の初頭といえば、私、小沢代表と硫黄島に九月に行ってまいりましたが、硫黄島が玉砕をした直後に当たるんでしょうか、その時代であります。あそこでも、最後にごうに残られた多くの方が自決をされております。これは全員軍人ですよね。そういう当時のことであります。ですから、仲井真新沖縄知事は、こういうことに対してちょっと疑義を感じる、当時の状況全体を考えると関与がなかったと言えないんじゃないかということを示唆されています。


 そこで、先ほど申し上げました、当時、軍、官、民、共生共死という考え方で、軍人に対しては、捕虜になるぐらいなら死ねという指導が行き渡っていて、かつ、軍から手りゅう弾が何らかの形で何人かには配布されて、そして集団自決ということが起きた中で、やはり総理、軍の関与があったというのが自然の見方じゃないでしょうか。


安倍内閣総理大臣 菅さんは、間違っているから積極的に介入してそういうことをするべきだとおっしゃっているように伺えるわけでありますし、菅総理が実現した際には、御自身のいろいろな事実認定においてどんどんこれは介入されるんですか、私はこのようにお伺いをしたい、このように思うわけでありますが、教科用図書検定調査審議会において、専門家がこういう事実認定において議論をして、そして、どういう意見をつけるかということを決めているということでございます。それがすべてではないでしょうか。


○菅(直)委員 総理は最近なかなか攻撃的になって、私が聞いたことには答えないで、私が総理になったときにはこうするだろうなんということまでわざわざ言っていただいているんですね。


 私がお聞きしたのは、検定に関与したかしないか、あるいはしたんじゃないかなんということを私は一言も言っていません。そんなことは一言も言っていません。


 そうではなくて、総理自身、大変歴史に、特に太平洋戦争の戦前戦後の歴史にある意味では詳しいから、あるいは非常に関心があるから戦後レジームの脱却、そういう言い方をされているんじゃないんですか。ですから、その戦後レジームの脱却という中に、戦後レジームと言われるものの中に、あるいは従軍慰安婦の問題、あるいは軍関与による集団自決の問題。昨日、文芸春秋を読んでいたら、その中で総理が対談をされておりますけれども、少なくともその相手の方は、岸元総理のそういう責任を否定されると思った、それこそが戦後レジームの脱却じゃないですかなんということを相手側が言われておりましたけれども。


 つまりは、総理が考えられている沖縄戦の見方について、総理御自身の見解を私は聞いているんです。検定の関係を聞いているんじゃないんです。例えば、今言われたように、沖縄の知事はそういう言い方をされました。


 総理自身も先日沖縄に行かれたじゃないですか。残念ながら、沖縄に行かれたけれども、この問題は一言も触れられませんでしたよね。私は宮古に行きましたけれども。総理は、沖縄に行って、沖縄戦の、この沖縄の人たちが非常に関心を持っていることに触れられませんでした。総理自身は、沖縄戦においてのこういう歴史的な事実についてどのように考えられているのかということを、総理自身のお考えを聞いているんです。私が総理になったときのことまで心配していただかなくても結構であります。


安倍内閣総理大臣 今、沖縄の補欠選挙について、私の演説について触れられましたが、まさに沖縄の選挙があるからこんな議論をされているんですか。違いますよね、もちろん。それは違うと私は信じたい、このように思うわけでありますが、それは全く別の話だろう、このように思いますよ。


 しかもこれは、いわば史実がどうであったかという議論であって、総理大臣がそういうことを一々ここで言うべきなんでしょうか。それは専門家が議論し、調査し、そしてその上で意見をつけることではないですか。私が一々そこで判断できるんであれば、教科書の検定を私が一人でやるということになるじゃないですか。そうでしょう。そうではないんです、そうあってはならないから、イズムとは離れたところにおいて、先ほど申し上げましたような審議会において、冷静沈着な、そして学識に裏づけされた議論をすべきであろう、このように私は思うわけでございます。(拍手)


○菅(直)委員 選挙をやっているときに、選挙にかかわる地域の問題を国会で取り上げるのは大いにやるべきじゃないですか。何でそれがやっちゃいけないんですか。選挙の中で、例えば米軍再編の問題を、米軍再編の問題を、沖縄に大変かかわりのある問題を、ではなぜ議論を避けるんですか。逆に言えば、沖縄の人たちが一番関心を持っている問題を、地元で選挙があるならば言えばいいし、国会でも取り上げればいいし、なぜそれがおかしいんですか。私はそれを封殺する方がよっぽどおかしいとまず思いますよ。


 それから、歴史的な事実に対して総理がいろいろ言うのはいかがなものか、いかがなものかと。しかし、総理は、従軍慰安婦の問題で、参議院の我が党の議員の質問に対して、狭義の強制はなかったけれども、広義の強制はあった、そういう答弁をみずからされているじゃないですか。歴史的な事実に対して、質問に対してみずから答えられているじゃないですか。この場所では、私が聞いたら、そんなことを答えるのはいかがなものか。ダブルトークじゃないですか。


 つまりは、自分が都合のいいときだけは私の考えですと言って答えながら、あるいはこういう本で述べられながら、都合が悪いときになると、いえ、それは答えるべきことでない。これはやはり、政治家としては本当にひきょうな態度と言わざるを得ませんね。いかがですか。(拍手)


安倍内閣総理大臣 ひきょうな態度というのは、それは失礼ですよ、余りにも。菅さん得意の、すべてをごちゃごちゃ混同させて一つのイメージをつくっていくという論法が今回も明らかになったということは、私はまずはっきりと申し上げておきたいと思います。(拍手)


 強制性等々については、先般の審議の中において、かつて外政審議室長が調査したことの内容において、私は、これはこういうことであったという解説をしたにすぎないということでございます。それは今までの政府の答弁にのっとっていることでございます。


 そして、今私が申し上げていることは、教科書検定のまさに中身であって、その教科書検定の中身それぞれについて、私が、こうするべきだ、ああするべきだと言うことをまさに菅さんは私に求めていて、それはできませんよということを申し上げているわけであります。


 そして、選挙については、選挙をやっておりますから、選挙で課題になっていることについてここで議論をすることは結構ですし、私も逃げてないし、菅さんの質問に答えているわけでございます。しかし、沖縄で私がどういう演説をしようと、それは私どもの方針であって、私の演説を聞いた方々にどうだったかということを恐らく聞いていただければいいんだろう、このように思いますよ。


 その中で、しかし、この教科書検定ということの議論については、これはやはり冷静に話さなければいけませんねということを、党派性を持って、ましてや選挙に結びつけてやってはいけないということを私は申し上げているわけであって、教科書検定というのは、これはだれが総理であろうと、だれが文部大臣だろうと、専門家が、専門的な見識に裏づけされた方々が議論をして、それは事実を一つ一つよく調査あるいは検討しながら、そして最終的にいろいろな意見をつけていくということが私はあるべき姿であろう、このように思います。(拍手)


○菅(直)委員 総理は、結論的には、この沖縄の大変重大な歴史的な事実について、一切その見方も述べられないで済ませられたということなんでしょう。

 安倍は自分の考えを説明すまいと必死に逃げ回り、説明の部分は言わば後見役の伊吹が詐欺的に行なうという役割分担である。安倍のケツの穴の小ささと、伊吹という政治家の不誠実さとがよく表れていると思ったので、ここでご紹介する次第である。