漢字すら読めない者がどうして首相に適任か?


 これは既に広く知られている話であり、本ブログでも既に10月19日づけの記事で触れているが、このほど朝日新聞の次の記事が出たこともあり、改めて言及しておいてよいと思われる。まずその新聞記事を引用しておく。

村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」
2008年11月10日22時9分


 麻生首相が国会で、戦争責任に関する過去の政府談話を「ふしゅう」する、という答弁を重ねている。参院事務局は「受け継ぐ」という意味の「踏襲(とうしゅう)」のことだと判断して議事録に載せているが、誤読続きに「秘書官が首相に指摘するべきだ」との声も出ている。


 首相は7日の参院本会議で田母神(たもがみ)俊雄・前空幕長の懸賞論文問題に絡んで歴史認識を問われ、アジア諸国へのおわびと反省を表明した95年の村山首相談話を「ふしゅう」すると答弁。10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた93年の河野官房長官談話を「ふしゅう」する、と答えた。


 参院事務局によると、首相は外相だった昨年も、河野談話を「ふしゅう」と答弁。外務省に問い合わせて「踏襲」の意味だと確認したことがあるため、10月15日の答弁は議事録に「踏襲」と載せた。7日の答弁も内閣総務官室に確認すると「踏襲」だと即答があり、10日配布の議事録速報版で「踏襲」と直した。(藤田直央)

 記事のリンクはこちら


 率直に言って、なんだこれは、である。こんな漢字すら読めないでは、いったいこの首相にどれほどの日本語理解力があるか、極めて疑わしいと言わざるをえない。マンガばかり読んで漢字を読んでいないことの結果なのではないだろうか。


 漢字が読めるかどうかが重要でないという反論があるだろうか。もちろんそのような反論は、反論者自身の不見識を露呈していると言ってよいのだが、しかし教育においては、日本語力(より一般的に言えば、国語力)があらゆる教科の学力の基礎を成すことが知られている(というよりむしろ、自明なことである)。つまり、麻生首相には、首相が当然持っていなければならない情報処理能力、言い換えれば理解力、その基礎に重大な欠陥がある可能性があるのである。少なくともそのような可能性があることは、上記のような反論者でも否定できないだろう。言い換えれば、麻生太郎は低能児である可能性がある、ということである。そもそも、そのような可能性を持っている者を、首相の座につけておいてよいのだろうか。他のポストならともかくも、事は一国の政治を率いるべき首相のポストである。とんでもないことを自民党は(総裁選によって)やってくれたと言わざるをえない。


 ついでに言えば、麻生首相が経済通だというのが全くの嘘っぱちだということも、知る人ぞ知るところである。知らない向きは、こちらのリンクからご覧あれ。とにかくひどすぎるのだ、麻生は。国の恥である。


追記(11月12日)
 くどくどと言いたてることはすまい。ただ単に、麻生の恥の記録をとどめておくのがこの追記の趣旨である。以下、朝日新聞の記事からの引用。

「みぞうゆう」の災害? 首相、あいさつで読み間違い
2008年11月12日21時46分


 麻生首相が漢字を読み間違える例が相次いでいる。母校学習院大で12日、開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式でのあいさつで、「ちょうど半年前の今日、四川省で発生した大震災、みぞうゆうの自然災害というものを乗り越えて……」と「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」と間違えた。さらに、日中の交流について、「1年のうちにこれだけ煩雑に両首脳が往来したのは日中関係史上過去に例がありません」。「頻繁(ひんぱん)」を「煩雑(はんざつ)」と間違えたようだ。


 国会答弁でも「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」と誤読するなど、日本語の間違いが目立つ首相。12日、記者団に「んーそうですか。単なる読み間違い。もしくは勘違い、はい」とかわした。

 馬鹿は死ななきゃ治らない。これである。