目を覆うばかりの航空自衛隊の知的レベル


 数日来問題になっている航空幕僚長の駄論文をめぐる話題の一つだが、まず朝日新聞の記事の引用から始めることにする。

前空幕長投稿の懸賞、空自78人も論文 総数の3分の1
2008年11月6日11時14分


 航空自衛隊田母神俊雄・前幕僚長(60)=3日付で定年退職=が日本の侵略などを正当化する論文を発表して更迭された問題で、防衛省は6日、航空自衛官78人が田母神氏と同じ懸賞論文に投稿していたことを明らかにした。応募総数は235人で、その約3分の1を航空自衛官が占めていたことになる。


 民主党外務防衛部門会議で報告した。防衛省の説明によると、ホテルチェーンなどを展開するアパグループ主催の「真の近現代史観」懸賞論文の募集が始まった今年5月、航空幕僚監部教育課が応募を全国の部隊に呼びかけた。その結果、最優秀賞に選ばれた田母神氏を除いて航空自衛官78人が投稿。いずれも入賞はしなかった。


 同省の5日現在の調査では、陸海の各自衛隊と内部部局(背広組)からの応募はないという。空自から応募した78人のうち、62人が田母神氏が以前トップを務めた第6航空団(石川県小松市)の所属だった。78人の階級別の内訳は将官級0人、佐官級10人、尉官64人、曹級4人。


 田母神俊雄・前幕僚長の論文は このリンクから見ることができるが、一言で言えば、論文の名に値しない駄文である。


 例えば、1928年の張作霖爆殺事件が関東軍の仕業とは断定できないと論じている。論拠が示されておらず(本の名を挙げるだけでは論拠を示したことにはならない)、もちろん疑わしい議論だが、それがどうあれ、1931年の満州事変の端緒となったのが関東軍の謀略による柳条湖事件であることは、まぎれもない事実である。つまり、そもそも日中戦争は日本の謀略から始まっており、そしてその結果成立した満州国が傀儡国であることは明らかなのだが、自分の議論にとって都合の悪いこういう事実を田母神俊雄・前幕僚長は全く無視している。


 そもそも、論文という場合には、論拠となった本・資料の箇所を特定する書き方をしなければならないが、そういう基本すらこの「論文」では踏まえられていない。既にこの時点で論文失格であり、これを書いた著者の見識はおろか、これに賞を与えた審査委員の見識すら極めて疑わしいと言わざるをえない。


 民主党はこの問題で前幕僚長を参考人として呼ぶべきだと主張しているが、当然だろう(末尾に関連記事を引用しておく)。今回の論文投稿がその職務にふさわしい行為だったかどうかという単なる責任論を超えて、そもそも幕僚長の歴史認識が今の歴史学の理解といかにかけ離れているかを明らかにするべきではなかろうか――政治家にそこまでできるかどうかは、疑問ではあるが。


 しかし、より問題なのは、この駄論文にすら劣る「論文」(どういう代物であるか、想像するだに馬鹿馬鹿しい)を航空自衛隊の連中が大挙して書いている、ということである。いったい航空自衛隊ではどういう教育が行なわれているのか。


 昔、文部省(現在の文部科学省)には特殊な皇国史観が存在するということがよく言われた(今でもなくなってはいないだろうが)。もちろん、皇国史観などというものは歴史学の批判に堪えない代物だが、しかしそれでも、一応そういう史観を奉じる「学者」はいないわけではなかった。これに対して航空自衛隊においては、そもそもいかなる意味でも学問的と称するに値しない、さらにおそまつな歴史観が蔓延しているようである。自衛隊(少なくとも航空自衛隊)は、そしてたぶん(そういう人事を容認してきた)防衛省も、解体的な再教育を必要とするのではなかろうか。



 幕僚長を参考人に呼ぶべきとしている民主党の主張に関する朝日新聞の記事は次のとおり。

前空幕長の任命責任・定年退職 民主、徹底追及の構え(1/2ページ)
2008年11月5日10時0分


 航空自衛隊の田母神(たもがみ)俊雄・前幕僚長が戦時中の日本の侵略を正当化する懸賞論文を投稿して更迭された問題で、民主党は4日、「自公政権そのものの問題」(小沢代表)として徹底追及する方針を決めた。参考人招致参院で実現させ、文民統制の危うい現状を浮き彫りにしたい考えだ。


 参院外交防衛委員会浅尾慶一郎筆頭理事(民主党)は4日、与党側に田母神氏の参考人招致を6日にも行いたいと要請。4日の共産、社民、国民新を含む野党4党の国対委員長会談でも参考人招致を求めることで一致した。


 田母神氏は安倍内閣の07年3月に久間防衛相が空幕長に任命したが、同年5月号の隊内誌への寄稿でも今回の論文と同様の歴史認識を披露していた。このため、野党は田母神氏を放置してきた政府の任命責任を追及する方針だ。


 さらに問題視するのは、防衛省が3日付で田母神氏を定年退職とした経緯だ。防衛相の辞職要求にも応じなかった同氏に、6千万円程度の退職金を渡すことになる。自衛隊をコントロールできない政府の実情をさらけ出した深刻な事態とみており、小沢氏は4日の記者会見で「本質に向き合おうとせず、政治のやり方として非常に遺憾だ」と批判した。


 また、田母神氏は3日の会見で戦争責任に関する95年の村山首相談話に基づく政府見解に重ねて疑問を呈し、「一言も言えないのでは北朝鮮と同じだ」といった発言を繰り返した。一方の浜田防衛相は4日の記者会見で厳正な対処を強調しつつ、「私人としての発言」としてコメントを避けるちぐはぐな対応に終始した。麻生首相は4日、再発防止の徹底、監督責任の明確化、国会と国民への説明を浜田防衛相に指示したが、厳しい追及にさらされるのは必至だ。


 浅尾氏は4日のBS放送の番組収録で「彼みたいな意見が自衛隊で戦わされても国会で質問されないからいいと思われている可能性がある」と指摘。自衛隊幹部ら制服組が国会で答弁しない慣例が隠れみのになっていないか、田母神氏招致で明らかにすべきだと主張し、「幕僚長以上は国会同意人事にした方が文民統制になる」と語った。


 民主党は今回の更迭理由が「(今後の)文民統制の基準」になるとして、明確な基準を説明するよう求めている。河村官房長官は4日の会見で「先の大戦をめぐる評価について政府見解と異なる見解を公表したことやその見解に憲法との関係でも不適切な部分があった」と説明。集団的自衛権をめぐる憲法解釈に疑義を投げかけた点も問題視しており、国会審議でも焦点のひとつになりそうだ。


追記(11月11日)
 田母神俊雄・前航空幕僚長に対する参院外交防衛委員会参考人招致参議院インターネット審議中継によって見たが、この問題はいよいよ深刻だと思われてきた。何事についても同様だが、政治についても、筋を通すことは極めて重要であると思われる。にもかかわらず、本来行なうべきだった懲戒処分を行なわずに単に解任によって事を収めようとした政府の処置は、筋が全く通っていない。


 のみならず、田母神俊雄・前航空幕僚長は2002年から2004年まで統合幕僚学校長だった。つまり、単に航空自衛隊にとどまらず、自衛隊全体の幹部教育を担当する機関である統合幕僚学校の長を田母神前航空幕僚長は務めていたのである。そして、参考人招致によれば、校長当時、田母神氏は自分の考えに基づいて「東京裁判史観」などということに関する講義を行なわせていたとのことである。田母神氏の歪んだ思想は、単なる個人的見解としてでなく、自衛隊の幹部教育の場で公的な仕方で喧伝されていたとみなさざるをえない。


 改めて、自衛隊の教育のあり方の解体的見直しが必要だと強く思う。


 「田母神氏が統幕学校長時代、歴史観・国家観の講座開設」という朝日新聞の記事を以下に引用しておく。

田母神氏が統幕学校長時代、歴史観・国家観の講座開設
2008年11月12日0時19分


 自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校で、「大東亜戦争史観」「東京裁判史観」など歴史観・国家観に関する講義を行っていたことが、11日の参院外交防衛委員会で明らかになった。02年から04年にかけて同校長を務めた田母神俊雄・前航空幕僚長が、歴史観などの講座を新設したという。


 共産党井上哲士氏が示した資料によると、田母神氏が04年、一般課程に「東京裁判」などをテーマにした講座を新設。その後、幹部高級課程に「東京裁判の本質」「東京裁判史観」「大東亜戦争史観」などを主な教育内容とする講座が開かれた。「現憲法及び教育基本法の問題点」といったテーマもあり、講師には大学教授や作家を招いていた。


 委員会で田母神氏は講座開設の理由について、「我々は良い国だと思わなければ頑張る気になれない。悪い国、悪い国と言ったんでは自衛隊の士気も崩れるし、きちっとした国家観、歴史観を持たせなければ国は守れない」と述べた。


 井上氏は「『大東亜戦争史観』など、そういう呼び名自体が特殊な言い方だ」と追及。これに対し、浜田防衛相は「カリキュラムの中身は把握していないので、私の考えは申し上げられない」と述べるにとどまった。


追記(11月12日)
 その後、航空自衛隊からの応募者の数はさらに増えて、現在わかっているところでは計97人だとのこと。これを伝える朝日新聞の記事を引用しておく。

論文投稿者、新たに空自隊員3人判明 計97人に
2008年11月12日22時33分


 防衛省の田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)=3日付で定年退職=が日本の侵略を否定する論文を発表して更迭された問題で、防衛省は12日、新たに3人の航空自衛隊員が同じアパグループ主催の懸賞論文に投稿していたことを明らかにした。3人は無届けの投稿だったため、確認が遅れたという。これで空自からの投稿者は計97人となった。


 同省によると、3人の内訳は2佐1人、尉官クラスと曹クラスが各1人。曹クラスの隊員は、62人が組織的に投稿していた空自小松基地(石川県小松市)の第6航空団所属だが、「幹部論文」とは別に投稿していたという。