自民党政権の構造的問題

 何回かにわたって安倍政権の問題をまがりなりにも指摘してきたつもりだが、以下に指摘する問題は、単に安倍政権だけの問題というよりもむしろ、自民党政権の構造的問題と言った方が良いように思われるので、そのように題を改めることとした。



 構造的な問題とは、自民党政権の経済政策の決め方をめぐる問題である。一言で言えば、ここ何十年かの間(少なくとも、ここ十数年の間は)、自民党政権は経済政策に関しては財界の言い分に唯々諾々と従ってきたと言ってよいように思う。


 今回の安倍政権の場合、特にそれは顕著である。安倍政権の経済政策とは、一言で言えば「成長路線」となろう。全体のパイを大きくして、それによって景気を良くし、国民の経済生活をより良いものとしていくという行き方である。言うまでもなく、これは日本経団連が主唱している政策である。


 「経団連が言うのだから、経済に即したまっとうな政策になっているのだろう」などと、思考停止的な判断をするべきではない。明らかな欺瞞もそこには含まれているのだから。その欺瞞の一例を挙げるなら、経団連ビジョン「希望の国、日本」 (2007-01-01)の中に次のような一節がある。

 女性の就労支援、高齢者の活用、若年者を中心とした雇用のミスマッチの解消により、労働力人口減少は相当程度、緩和可能である。経団連は、全員参加型の社会を実現することで、2015年までの労働力人口減少を100万人にとどめることをめざす。

 例えば本気で高齢者の活用を図るつもりなら、当然ながら定年延長の問題を考えなければならなくなろう。しかしその定年延長については、経団連は定年延長の法制化に対して反対のようである。例えばこの講演の末尾「おわりに−定年延長問題」を参照されたい。すなわち、その理由として奥田経団連会長(当時)は次のように言っている。

現在、若年雇用問題が深刻に受け止められていることは、みなさんもご承知のとおりでありますが、雇用延長が法制化された場合、そのしわよせが若年層に及び、結果として若年雇用問題がさらに深刻化することは、火を見るより明らかであります。
(中略)
将来にわたってわが国を支えていくべき若年の多くが、能力の向上に資する仕事につけないというは、わが国にとってきわめて憂慮すべき問題であります。それをさらに悪化させてまで、本当に高齢者の雇用延長を義務づけなければならないのか、よほど慎重に考える必要があると思います。

が、少し考えれば明らかなように、これぐらいの詭弁もそうそうないだろう。なぜなら、高齢者がその経験に応じた処遇を受けるなら(定年延長が予定する高齢者の働き方とはこういうものである)、その高齢者の雇用の問題が若年者の雇用の問題と同一次元にないことは明々白々だからである。しかるにそこを故意に混同しているのはなぜかと言えば、要するに高給を払い続ける期間をなるべく減らしたいからに相違ない。高齢者の活用などということは、全くのお題目でしかないのである。


 さらに、「将来にわたってわが国を支えていくべき若年の多くが、能力の向上に資する仕事につけないという現状」などと、あたかも他人事のように言っているが、そのような現状を作り出しているのは誰か。他でもない、大企業を中心とする企業ではないか。私は経団連に個人的な怨みなど持ってはいないが、それにしても、ふざけるのもいい加減にしろと言うほかない。


 また、経済界が政府に意見するのは経団連を通じてのみなのではない。例えば政府の諮問機関とやらである「規制改革会議」について、次のような報道がなされている。
最低賃金上げに慎重論 規制改革会議が意見書

 政府の規制改革会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)は21日、労働市場改革についての意見書を発表した。安倍首相が意欲を示している最低賃金引き上げについて「不用意に引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらす」などと指摘し、慎重な検討を求めた。
 意見書はこのほか、事業主が金銭を支払えば解雇できる「解雇の金銭解決」の試験的導入など、労働法制の大幅な規制緩和を提言した。同会議が今月末にまとめる第1次答申に、会議側の見解として盛り込まれる。

 このような「労働法制の大幅な規制緩和」の実現は、労働者にとって悪夢以外の何ものでもないだろう。


 自民党政権の構造的問題とは何か。既に書いたようにそれは、経済政策に関して財界の言い分に唯々諾々と従うことである。そして、今の日本においては、財界の言い分に従うことがとりわけ、いわゆる格差問題を初めとする社会の諸問題の悪化に寄与していると言ってよい。なぜそうなるかと言えば、日本の財界は依然として輸出企業を中心としており、そして輸出企業は、開発途上国との経済競争をやり抜くために、国民を貧しくさせることを必要としているからである(賃金の安い開発途上国との競争で伍していくには、少なくとも相当程度日本の賃金も下げざるをえない、という理屈によっているのだろう)。


 しかし、明らかにこれは国民にとって不幸な道である。なぜなら、現に起こっている事態だが、輸出企業が儲かれば円の評価が高まり、したがって円高となる。そうすると日本の賃金は外国に比して高いことになり、それによって輸出企業は再び競争力を低下させる。そこで競争力回復のために賃金切り下げが行なわれるという、(労働者から見た場合の)悪循環が働くことになるからである。
(ついでに言えば、昨今のいわゆる「円安」−−といっても、現在の水準は、日本の輸出企業が強いのでさしたる安さにはなっていない、と見るべきだろう−−は、むしろ対ユーロでのドル安に付随した現象と見るべきなのではあるまいか。昨今の為替市場の動きは、一言で言えばユーロに対してドルが安くなっているという点に存するように思われる。国際通貨という面でのドルの威信の低下が現在の状況だと言うべきだろう。)


 ならばどうするべきか。当然ながら、労働者への報酬を手厚くするべきである。今の日本でサービス残業がゼロの企業(特に大企業)など皆無だと思われるが、こういう状況は当然ながら改められるべきである。サービス残業がなくなって早く帰宅できるようになること自体が、生活の質の改善を意味するのであり、そして、日本が「希望の国」を目指すのなら目指すべきは当然生活の質の改善だろうから、したがって、サービス残業は駆逐されなければならない。理の当然である。それによって企業の利益が減るのなら、減ればよい。そんな利益はもともと搾取によって得ていた利益なのだから。


 また、非正規雇用者を一定期間雇った後には、当の労働者に対して企業側が、正規雇用への申し込みをする義務があるというふうに法律はなっており、そしてこれをごまかす雇用慣行が行なわれているようだが、これもまた、脱法行為と言うべき話であり、当然ながら政府は法を厳格に運用するべきである。すなわち、<通算で>一定期間以上雇った後には企業側が正規雇用への申し込みをする義務が生じるというふうに法を運用するべきである。


 今も昔も、企業の最大の社会的責任の一つは雇用の確保である。しかも、ここで言う雇用とは、安定した雇用のことである。そのようなものを社会に提供して初めて、経済界は自らのビジョンを国民に訴える資格を有すると言うべきである。肝心要の雇用面でいい加減なことをやっている経済界などに耳を貸すべきではない。


 民主党が明確な対立軸を打ち出したいのなら、経済界に擦り寄らない経済政策を打ち出すことこそ肝要だろう。そして国民は、経済界のでたらめな言い分に対してものわかりよくふるまうべきではない。自分たちが労働者として搾取されていることを、もっともっと自覚するべきである。