安倍政権の何が間違っているのか(続き)

 言うまでもないかもしれないが、安倍政権の何が間違っているかと問うことは、そのまま、安倍政権を支持する人々の何が間違っているかを問うことでもある。昨日の記事で「強いリーダーシップ」を求めること、また(政権の側で)それを演じることの誤りについて論じたが、明らかなように、ただ政権だけを批判すればよいのではない。そもそも強いリーダーシップを求めることが国民の側にあるから、人気取り稼業である政治家はそれに応えようとする、そういう面が確かに存在するのである。



 ところで、安倍政権の誤りはそれに尽きるものではない。さらに大きな問題が実は存在する。この大きな問題点については、見方によっては本ブログの過去の記事でもたびたび触れてきたと言えなくもないのだが、少し角度を変えてその問題を論じることにする。


 その問題とは、安倍政権にはビジョンも構想もない、ということである。こう言うと直ちに「いや、安倍は『美しい国』と言っているではないか」という反論が返ってくるかもしれないが、この「美しい国」というスローガンの問題性については既に過去にこの記事で詳しく批判しておいた。これに対して傾聴に値する反論がない限り、「美しい国」なるものはビジョン・構想の名に値しないと考え続けてよいだろう。


 「美しい国」などはビジョンでも何でもない。それは「政治の荒波に翻弄されている一つ覚えの安倍にとって、必死にしがみつくべきいかだの名前」でしかない。



 「美しい国」なる看板が中身のないものであるとすれば、あとは、個々の政策で打ち出される方針にどういう中身があるかどうかの問題になるが、ここで問題にしなければならないのは、それら個々の政策の方針の背後に、政権としての理念なり構想なりが存在するのかどうか、ということである。例えば、今日の国会で、先に強行採決された教育基本法改正を受けて、教育関連3法案の採決(審議ではない、またしてもすぐに採決である)が行なわれることになっているが、この3法案の背後に、安倍政権としての教育に関する理念なり構想なりが果たして存在するのかどうか。答えは明らかにNOである。


 安倍政権に、教育に関して理念も構想もありはしない。あるわけがないのだ。何しろ安倍自身はただの坊ちゃん学校を出てきており、教育に関する問題意識など持ち合わせてこなかったのだから。あったのはせいぜい、(後に触れる話と関連するが)左翼教師に対する反感程度だろう。


 憲法問題でもそうである。もし安倍に憲法問題に関して理念なり構想なりがあると言うのなら、それをしかるべき場で1時間でも2時間でも開陳してみればよい。理念・構想と言うからには、当然ながら体系的なものがなければならないが、安倍にそれがあるかどうかと言えば、話を聞く前から答えは決まっている。そんなものなどありはしない。安倍の頭には、体系的なものが展開しうるような知力は存在しないからである。レジームの意味すらわからない男が語る憲法論など、全く意味がない。



 5月3日に行なわれた、憲法について語る集会の中で、民主党菅直人代表代行が面白いことを言っていた。私なりに理解しえたことを記すと(したがって、以下の報告について第一義的に文責を有するのは私である)、安倍の言行の根底にあるのはコンプレックスなのではないか、と菅氏は言うのである。すなわち、安倍が自己形成を遂げた時期、まだ戦後さほど経っていない頃には、左翼が正義だというような観念が社会に広く存在した。岸信介という政治家を祖父に持ち、正義でない側にいることを運命づけられた安倍は、正義としての左翼に対するコンプレックスを跳ね返したいという思いに囚われてきており、そのコンプレックスに対する反動が全開になっているのが今の安倍の有様なのではないか、と。大変面白い見方である。安倍は要するにアカが嫌いで、その感情が、思想(体系)を持ち合わせていない安倍にとっての思考・行動の指針となっているというわけである。


 ただ、安倍が持っているコンプレックスは 左翼に対するものだけではあるまい。評論家の立花隆氏が指摘しているように、東大・京大など受験一流校出身がずらりと揃った官僚連中に対しても安倍がコンプレックスを持っていたとして、それは全く理解できることだと言えよう。コンプレックスと書くといかにも主観的な話に聞こえるが、実際にそういう連中と日々付き合ってみて、自分の頭のめぐりの遅さを感じるとかいったことは、これは客観的事実に属する。


 つまり、客観的に見て、安倍は頭が弱いと言えるのではあるまいか。自他共にそう認める人間を、一国の指導者として頂くこと、これはその国にとって極めて不幸な話である。
(さらに言えば、安倍は祖父岸信介に対して、決定的とも言うべきコンプレックスを持ち合わせているだろうと思われる。立花氏が指摘しているように、岸信介は当時の東大法学部きっての秀才であり、聞くところによれば、首席だったので大学に残るよう勧められたが断って官僚となったため、二番だった我妻栄が大学に残ったという。岸信介の後塵を拝した我妻栄という人は、知る人ぞ知る、昔日の民法学界の大御所だった人物である。)



 安倍政権は、中身がないからこそ、ろくに審議せずに法案をとにかく通すだけ通して、実績を誇示しようとしているのである。来たる参議院選挙を、そして日本の政治の今後を考える際には、この点をしっかりと見据えなければならない。


 ただ、政権批判は以上で尽きるものではなく、さらに論じなければならない重要な論点がある。引き続き考えてみたい。