安倍政権の支持率が上昇する理由(続き)・・・そして、安倍政権の何が間違っているのか

 昨日の続き。安倍政権の支持率が上昇する理由としてもう一つ思うのは、小泉劇場後遺症とでも言うべきものが、今なお国民の間に広く残っているのではないか、ということである。


 言うまでもないが、私自身は、「小泉劇場」などという言葉は大嫌いである。政治をくだらない芝居仕立てにした張本人である小泉純一郎なる三流以下の政治家は、現憲法下の首相として最低の一人だと言ってよい。既に以前に例えば次のような批判記事を書いてもいるところから明らかなように、小泉純一郎は、今すぐにでも国会から永久追放されるべき政治家の一人だと私は思っている。ただ、そういう好き嫌いはともかく、特に小泉の郵政選挙によって、自民党のリーダーに関する奇妙なイメージができてしまった。つまり、さまざまな派閥の長と語らって党をまとめていくような、いかにも自民党的なリーダーは決定的にだめの烙印を押され、そうでなくはきはき物を言い(中身はなくてもよい・・・この点が重要)、何やら決然たる指導者然としているように見える、そういう見かけの指導者が好まれるようになってしまったのではないか。こうとでも考えるのでなければ、安倍の支持率が上昇するなどということはおよそ説明がつかない。一言で言えば、強いリーダーシップが好まれるといったところだろうか。



 「安倍政権の支持率が上昇する」などという話は、書いていて気がくさくさする。分析はここまでとし、これからは、以上述べたような考え方に対する批判を開始する。


 まず、「強いリーダーシップ」を批判しなければならない。強いリーダーシップとやらを突き詰めると、その先には何があるのか。言うまでもなく、独裁である。例えば知事選であれ市長選であれ、強いリーダーシップということを基準に投票しようとする人には、次のように問いかけてみるべきである。すなわち、「あなたは独裁をお望みなんですか?」、と。こう尋ねれば、たぶん100人中100人が「とんでもない、独裁など御免ですよ」と言うだろう。そこでさらに次のように尋ねる。「強いリーダーシップを求めるが、独裁は御免だとおっしゃる。では、あなたが言う『強いリーダーシップ』とは、より具体的にはどういうものなんですか?」、と。これに対する答えはたぶん、「他人の意見に耳を傾けるが、決断すべき時には決然として決断する」といったあたりに落ち着くのではなかろうか。


 もし実際にこういう問答を自分の知人との間でやりとりできれば、ここに来るまでに既に相当程度、相手の考え方に再考を促していることになるのではないかと思う。「強いリーダーシップ」という基準の中に「他人の意見に耳を傾ける」という要素が入っているとは、ふつう思えないからである。そしてさらにやりとりを続けられるなら、その場合の「他人」とは特に誰かを問いただすべきである。耳を傾ける主語が首長であるなら、その場合の「他人」とはとりわけ、議会の人間、しかも野党の人間ということになるはずである。独裁者でないためには、自分と異なる意見にこそ(同意するかどうかはともかくも)少なくとも耳を傾ける必要があるはずだから。


 より踏み込んで言えばこうなろうか。すなわち、民主主義社会において、果たして我々は「強いリーダーシップ」を求めるべきなのだろうか、と。もちろん、例えば大災害が起こった時には、首相であれ首長であれ、速やかな判断に基づいて指令を出すことが求められることは言うまでもない。しかし、ここが考えどころだが、そのような速やかな判断・速やかな指令は、果たして「強いリーダーシップ」の発揮と評すべきことなのだろうか。そうでないように私には思える。なすべきことを、制度に則って(制度に則ってやるのだから、強くないふつうのリーダーシップを発揮すればよい)、遅滞なく行なうということ、つまり「すべきことをした」にすぎないのではないだろうか。


 強いリーダーシップとはむしろ、自分の理念なり政策なり、やりたいことがあって、それの実現に向けて周囲を引っ張っていくこと、そういう姿勢を指すと思われる。そしてそのようなものとしての「強いリーダーシップ」は、価値観が多様化した今日の社会、しかも独裁制と対極を成す民主主義社会において、果たして望ましいものなのだろうか。民主主義社会においてはむしろ、理念であれ政策であれ或いは(政策を形にしたものだと言える)立法であれ、とにかくまずは衆知を集めることが重要なのではあるまいか。


 標語ふうにまとめると次のようになろう。すなわち、民主主義社会の政治的指導者に必要な資質は、強いリーダーシップではなく、むしろ、広く衆知を集めて、それをまとめあげる調整力・構想力なのではないか、と。このように考えてくると、昨今の与党の暴走がいかに異常であるかがより明確にわかるのではないだろうか。


 今の日本に本当に必要なのは、強いリーダーシップ(≒独裁)では断じてない。少なくとも私はそう思う。そして最近、安倍は、他人(特に野党)の意見を聞くことなく国会で多数の力で法案をどんどん通すことによって、強い指導者を演じ続けている(安倍の内実はともかくとして)。この男が民主主義国家の政治家・首相として全く失格である所以である。