こんな法改正があってよいのか?

 自分の不明を恥じるほかないが、防衛庁省昇格法案の衆議院通過を報じる記事を読んでもなお、その意味がわかっていなかった。疑問が解けたのはようやく、今回衆議院を通過した法案の中身を見てからだった。とんでもない法案、法改正だったのである。


 例えば、<防衛庁の「省」昇格 衆院を通過>http://www.asahi.com/politics/update/1130/006.htmlという記事で

法案が成立すれば、防衛庁は来年1月上旬にも「防衛省」となり、防衛庁長官は「防衛相」に格上げされる予定だ。(中略)さらに、自衛隊の国際緊急援助活動や国連の平和維持活動(PKO)、テロ対策特措法イラク特措法に基づく活動、周辺事態での後方支援などが国土防衛や災害派遣と同等の本来任務に位置づけられる。

とあるのを読んでもなお、その意味がよくわかっていなかったのだが、今回衆議院を通過した法案は次のようになっているのである。



防衛庁設置法等の一部を改正する法律案>http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g16405091.htm

閣第九一号
   防衛庁設置法等の一部を改正する法律案
 (防衛庁設置法の一部改正)
第一条 防衛庁設置法(昭和二十九年法律第百六十四号)の一部を次のように改正する。


 以下、字数にして5000字を超える内容が盛り込まれている。これが今回衆議院を通過した、全部で69条ある法案の「第1条」である。もちろん、その大半は「防衛庁」を「防衛省」に改めるといったたぐいの内容だが、そういう言葉の問題だけが盛り込まれているわけではない。そのことは、特に今回の法案の第2条を見れば明らかである。

 (自衛隊法の一部改正)
第二条 自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)の一部を次のように改正する。


 第2条もまた、字数にして5000字を遥かに超える内容を含んでいる。もちろん、その多くは

第二条第一項中「防衛庁長官(以下「長官」という。)、防衛庁副長官及び防衛庁長官政務官並びに防衛庁」を「防衛大臣、防衛副大臣防衛大臣政務官及び防衛大臣秘書官並びに防衛省」に、「防衛庁本庁」を「防衛省本省」に、「防衛庁設置法」を「防衛省設置法」に(以下略)

といった具合に、言葉を改めるといったものだが、どさくさにまぎれて、次のような内容も盛り込まれている。

  第三条第一項中「わが国」を「我が国」に、「当る」を「当たる」に改め、同条第二項を同条第三項とし、同条第一項の次に次の一項を加える。
 2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
  一 我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
  二 国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動

 記事の中にあった、自衛隊の「国際貢献」が本来任務に位置づけられることになるというくだりは、ここに関するものだったわけだ。


 しかし、と思う。「庁」を「省」に変えることを目的とした法案の中に、日本の安全保障政策にかかわるこのように重大な変更をまぎれこませることが、あってよいのだろうか。この変更は、庁の省への変更などよりも遥かに重大な内容を含んでいると言うことができるのであり、本来それだけを取り出して議論すべき(そして必ず、議論が百出するであろうし、そうでなければならない)問題なのではないか。


 こんな法改正があってよいのか。政府のやり方は実に姑息きわまる。全くおかしいと言わざるをえない。


 つまり、仮に教育基本法の文言の中に「文部科学省」という言葉があったとし、そしてその名称が例えば「教育省」に変わるとして、「文部科学省」を「教育省」と変更する法案の中に、「教育省」に関する変更事項として、教育基本法の改正を盛り込むようなたぐいの、これは話なのである(もちろん、自衛隊法はいわゆる理念法ではないが、そこには当然、国防に関する基本的な考え方が織り込まれているわけであり、この比喩は決して不適切ではないと思われる)。


 防衛庁防衛省へと変わるという問題より以前の、法改正の問題として、今回の法案には大きな疑問が残ると言わざるをえない。こんなでたらめな法改正が国会で横行しているとはつゆ知らなかった。主権者の一人として不明を恥じるとともに、こういうでたらめを恥としない政治家を国会へ送り込んでいた国民の責任、さらには日本の政治の伝統のいい加減さに思いを致さざるをえない。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。