将棋のこと

 忌憚なく言えば、第19期竜王戦第2戦は、勝負師としての両者の格の違いが現れた一戦だったと言ってよいだろう。絶対優勢だった渡辺竜王の、要するに「手が震えた」のであり、それが勝ちを逃す結果へとつながった。これを見て、少し前に羽生世代(この場合は、羽生本人)とその下の若手世代(この場合は、山崎現七段)が戦って、やはり若手世代が勝ちを逃した将棋が思い出された。


 羽生世代の将棋指しは、それ以前の大山や升田などと異なり、将棋に人生を持ち込まないスタイルを確立したかのように言われており、そしてそれは全く当たっていないわけではないだろう。彼らはどこにでもいるふつうの人間のように見える。しかし、我々一般人がつねに心しなければならないのは、(誤解を恐れずに言えば−−また、私自身は以下を讃辞として言っているつもりなのだが−−)将棋指しは将棋という魔物に魅せられてイカれてしまった人々なのであり、将棋的思考の化け物なのだ、ということである。そして今回の竜王戦ははしなくも、将棋指しはどこまでも勝負師なのであり、「ふつうの人間」に見える羽生世代もまたその例外でないのだ、ということを見せてくれたように思われる。


 ところで、知人から「将棋ソフトの方向性は間違っていると思う件」というブログを紹介され、読んでみたが、物事をこういうふうに考えるようでは恐らく何事もお先真っ暗になるのではないか、と思われるような思考が提示されていた。


 これに対する反証例は既にチェスが示している。すなわちチェスの世界では既に、世界最高の実力者とコンピューターソフトが対戦するという事態に至っているが、それによってチェス人気が衰退したかと言えば、そのような情報を私は知らないし、現実にもそのようなことはないのではないかと思われる。もちろん、チェスのソフトでフリーのもの(Arasan)を以前に使ったこともあり、私などではほとんど勝てなかったが(戦法の如何では全く勝てないというわけでもなかったが、それはどうでも良いことである)、チェスのソフトが強すぎることが問題でチェス人気が衰退したかと言えば、そんなこともないようである。


 将棋についても同様であって、将棋のプロが必勝法を求めて究めていくのは当然であり、また、将棋ソフトがそのプロを負かそうとするのも当然である。(なお、上記ブログで念頭に置かれている「将棋ソフト」とは具体的にはフリーソフトbonanzaあたりではなかろうか。確かにbonanzaは素人には強すぎであり−−私などは20回やって1回勝てればよい方である−−、しかもレベル調節の機能もない。しかし、市販のソフトではレベルの問題などにちゃんと配慮したものが売られているのであり、言われなくとも市販のソフトは、広い市場をターゲットに入れているように私には思われる。)


 市場規模という点で将棋ソフト或いはより広く将棋の将来に対して懸念があるというのであれば、それにどう対処すべきかは既に明白である。すなわち、上記ブログでも確認されているように、将棋の普及が必要なのであり、そして−−この点に関する明確な指摘は上記ブログにはなかったと思われるが−−海外にも普及していくことが肝要である。将棋は面白い。私見によれば、チェスよりも断然面白い。言うまでもなく、取った駒の再利用が可能だからであり、それが可能性を飛躍的に大きくしているからである。


 それだけでなく、将棋にはそれに付随する詰将棋という世界最高のパズルがある(もちろんチェスにもチェス・プロブレムなるものがあるが、面白さの点では詰将棋の足元にも及ぶまい)。将棋の面白さをきちんと伝えることができるなら、将棋は必ず世界的な人気を呼ぶようになるだろう。(チェスと食い合うという面は或いはあるかもしれないが、しかしチェスには攻めのスピードの速さなどチェスの魅力があり、両者には違いもある。このあたりについては楽観的でよいのではなかろうか。)


 今や大相撲の関取の何割かが外国人力士によって占められている時代である。将棋の棋士にも外国人が登場していて良いのであり、現在の将棋界に責められるべき点があるとすれば、現実にはまだ外国人棋士が出てきていない、その点が批判に値する点だろう。そしてこの点では将棋界は、国内の人気が将棋より劣るが海外展開では先行していると言える囲碁界の例を、先例として、また同時に反面教師として、学ぶことができよう。