ひ弱な政治家たちのひ弱な核武装論、そしてそれを統制できないひ弱な首相

 本ブログでも何度かとりあげてきた世襲議員、中川自民党政調会長のアホな「核武装論議必要」発言をめぐる騒ぎは、「事実上の発言修正」で終わったかのように伝えられている。
「自民・中川政調会長、「核保有議論」発言を事実上修正」
http://www.asahi.com/politics/update/1103/004.html
が、話が未だ終わっていないことは明らかである。


 まず、今回の騒ぎの中で明らかになったのは、中川のような自民党幹部や麻生のような「大物」閣僚(「」をつけたのは、言うまでもなく、実際には麻生など全く小物政治家・豆粒政治家でしかないからである。比較対象となる安倍と比べれば「大物」である、ということにすぎない)の発言を安倍首相が全く統制できていないということである。安倍は首相として、明らかに指導力不足だと言わざるをえない。ひ弱な安倍は器にあらず、なのである。


 安倍の指導力不足というこの点をメディアが指摘しないのは、実に不可解千万と言わざるをえない。今のメディアは、政治家の指導力の何たるかすらわかっていないということだろうか。そうだとすれば、メディアには権力批判などもはや全く期待できないことになろう。


 ところで上記記事によれば、中川はいわゆる「修正」の後の発言でこう言っているらしい。
(引用開始)
北朝鮮が日本の原子力発電所を核ミサイルで攻撃する場合などを例示して「撃たれないようにするにはどうしたらいいのかという議論をなぜしないのか」と語り、核攻撃に対する防衛論の必要性を強調した。」
(引用終了)
 こういうでたらめな言辞を弄する輩には、批判を通り越して怒りすら覚える。特に、それが与党の重要ポストにある政治家の発言であればなおさらである。いったいいつ北朝鮮が核ミサイルを保有するに至ったのか。今回の核実験とやらが核実験だったとしても、それが全くの失敗実験であったことは火を見るより明らかであり、したがって、北朝鮮は核ミサイルなど保有してはいないのである。ありもしない事態を想定して国民の不安感を煽る、それがまともな政治家のやることか。中川はすぐにも議員辞職するのが相当である。


 すぐに核攻撃などと抜かす連中は、性根においてハラが座っていない輩なのではないだろうか。そういう輩は中川には限られないようで、
「「核保有議論好ましい」 石原都知事が中川発言を評価」
http://www.asahi.com/politics/update/1102/014.html
ここにもまた、ハラの座っていない輩がいるのである。この記事によれば、石原は
「さらに、核保有問題について活発に議論することが好ましいとし、「いろんな形で中国の動きを規制するだろう」と述べた」
とのこと。実に馬鹿げている。客観的に見て、日本が核武装できないことは明々白々であり、そんなことは中国も百も承知である。そのような状況で「中国の動きを規制する」ためと称して核保有論議をやったところで、それは日本の政治家の底の浅さを露呈するだけである。石原がそんなこともわからないとは、憐憫のほかはない。耄碌しては都知事は務まらないから、3期目はやらないのが都民・国民のためだろう。


 ところで、客観的に見て日本が核武装できない理由として、必ずしも一般によく知られていない話−−しかし、知っている人は皆知っている、というほどに基本的な話でもあるようである−−をここで紹介しておきたい。


 本ブログでも既に何度か紹介している「ビデオニュース・ドットコム」で幸便にこの点に関する番組
http://www.videonews.com/on-demand/291300/000918.php
が放映中であり(視聴は有料)、それを参照して書くが、もし日本が核武装を指向しようとすれば、つまり核兵器を作ろうとすれば、ウラニウムなど原料を100%輸入に頼っている原子力の原料供給が絶たれることになるらしい。供給国との間には、原料は平和目的にのみ利用するという協定が結ばれており、核兵器製造はその協定に対する違反となるからである。したがって、現在電力の約4割を賄っている原子力発電は半年ないし1年で停止せざるをえなくなる。これに日本は耐えられるか。答えは明らかに「否」である。加えて、かつての枢軸国だった日本が核武装するとなれば、国際連合(United Nations、すなわち第二次大戦時の「連合国」)は当然日本に対して経済制裁などを行なうだろう。それに日本は耐えられるか。答えはいっそう明らかに「否」である。


 例えばこういうことをわかった上で核武装論議の必要性如何を考えなければならないのである。では、核武装論議は必要か。この問いに対して「必要だ」と答える人間は、よほどイカれていると言わざるをえない。



 ただ、あえて、きわめて好意的に中川らの発言を忖度するなら、彼は、日本人が、自分の国を自分で守るということについてもっと考えるべきだ、と言いたいのではあるまいか。そういう話なら、全く理解できないわけではない。


 が、もし本当にそう言いたいのなら、日本自身の核武装を持ち出すことが「米国の核でなく、日本自身の核で守る」という意味になるのである以上、中川は日米安保の再検討(当然ながら、廃棄を視野に入れた再検討)をも主張するのでなければ話が合わない、と言わざるをえない。中川にはそこまで主張することができるか。できないだろう。だからこそ私は、中川ら核武装論議を言いつのる輩を「ひ弱」だと評さざるをえないのである。