メディア報道の限界の一例――拉致問題

 asahi.comでは時々シンポジウムの内容が掲載され、これが往々にして読み応えがある。紙の新聞でも掲載されているが、数年来インターネット上で見ることに慣れてしまった者としては、インターネットの方が読みやすい。


 ここで紹介したいのは
「国際シンポジウム「ジャーナリズムの力」 ―試練と可能性―  2006年10月13日(金)東京国際フォーラム
http://www.asahi.com/sympo/061027/index.html
というシンポジウムである。といっても、率直に言って、外国からのゲストの話はありきたりで少しも面白くなく、日本人のゲストのうち田中宇氏と、電通藤原氏の発言が面白かった。特に、田中氏は、NYTimes紙の編集局長を前にしてかなり言いたいことを言っており、これがよかった。


 そこで、このシンポジウムについては動画ファイル
http://www.asahi.com/motion/061020sympo3.wvx
も閲覧に供されているので、田中氏の発言に絞って動画を見てみたのだが、このファイルの中で、田中氏が実際に語っていることで、シンポジウムの(上記の「index.html」のURLから見ることができる)会議録に採録されていない部分があることがわかった。その内容の重大性に鑑みて、以下それを紹介しておきたく思う。田中氏の問題の発言は、上記リンク(.wvxで終わっているリンク)から見ることができる動画ファイルの27分30秒ぐらいから約1分にわたっており、次のページ
http://www.asahi.com/sympo/061027/18.html
に載っている田中氏の発言の
「朝日もひどい目に遭ったかもしれない」と
「国民は簡単に乗せられちゃうから」
という言葉の間に語られているものである。以下の引用は、話し言葉を書き言葉に改めている都合上、逐語的に正確というわけではないが、しかし内容的には、発言に何も付け加えていないことは確言できる。

 実際に拉致問題なんか、非常に政治的に歪曲されている。拉致家族の団体の何人かの人は、僕の知っている週刊誌の記者に対して、非常な、脅迫とも言えるような、要するに「ちゃんと報道しろ、俺たちの立場に立て」と。
 で、拉致問題の問題性は何かというと、拉致問題はだんだん最近問題にならなくなっている。なぜか。僕が見るところでは、安倍さんがこの間韓国とか中国に行ったでしょう。どうも日本としては中韓と仲良くしなきゃいけない。そうなると、拉致問題とか、もうあんまり騒がない方が良い。まあ、これは推測ですよ。わかんないんだけど、良いように国民はやられている。


 朝日新聞が紙面上或いはアサヒ・コム上にこの部分を載せなかったことは何を意味するのか。ここからは私の推測だが、田中氏の知人である週刊誌の記者に対してかかったのと同種の圧力がかかることを恐れて、予め朝日新聞側が自己規制をしたのではなかろうか。


 もし私の推測が当たっているなら、−−当たり前の話だが−−少なくとも拉致問題に関する報道では、我々が目にするメディア発の情報は既に手が加えられたものであること(どういう形に手が加えられているかは、言うまでもあるまい)、このことが再確認できると言えるのではなかろうか。


追記
 参考までに、上記シンポジウムの動画ファイルへのリンクを掲げておくことにする。
http://www.asahi.com/motion/061020sympo.wvx
http://www.asahi.com/motion/061020sympo2.wvx
http://www.asahi.com/motion/061020sympo3.wvx