教育基本法改正案の衆院通過という暴挙が近づく

 大変憂慮すべき事態である。今の国会勢力分布からすれば、衆院を通過した法案は成立が確実視されることになるから、本当に教育基本法は改正(もちろん、実際には「改悪」だが)されることになりかねない。朝日新聞など、ようやく夕刊紙上で、教育基本法に関連する識者の声の連載を始め、これまでのところ改正に対して批判的な人の声が載せられているが、遅きに失した感がある。とはいえ、「遅きに失した」などと論評していてよい場合では全くない。


 今の日本で教育基本法を改正するべき喫緊の必要性があるのか。もちろん、全くない。教育との関連で実際に必要なのは、例えば、最近持ち上がった履修漏れの問題に適切に対処することであり、いじめの問題に正面から取り組むことであり、また生徒・学生の学力の低下という事態を改善するための方策を考えることである。このうち、履修漏れの問題と学力低下の問題の2つは、いずれも直接的にはカリキュラムの問題である。いじめの問題は深刻な問題であり、日本社会自体が抱える問題だとも言えようが、これに関して現行教育基本法の第1条には「教育は、(中略)真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、(中略)自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とある。この第1条が真に尊重されていれば、本来いじめなどは起きないはずである。したがって、いじめの問題は、教育基本法の改正と全く関係ないばかりか、むしろ、現行の教育基本法がないがしろにされているがゆえに起こっている問題である、とすら言えるのではなかろうか。


 これらは、今回教育基本法改正案(実際には改悪案)を出している連中及びそれに賛成している連中以外の万人にわかりきった話であり、そんなことを場末のブログで書いたところで何にもならないのだが、しかし、何にもならないからと言って無為でいるのは、この際あえて「罪」だと言わねばならないだろう。遅ればせながら、ここしばらくは、時間の許す限りこの問題に絶えず注目していきたいと思う。