教育基本法−−現行法と政府改正案の比較

 教育基本法に関する論議の中で、表題のような話は、もちろん国会では行なわれているのだろうと思う(国会会議録で確認してはいないが)。しかし、私自身はあまり目にしたことがない。或いはインターネット上ではどこかで既に行なわれているのかもしれないが、それを探すのも面倒なので、自分でやってみた。以下にその比較を掲載しておく。


・改正案は第1条で「教育の目的」を述べ、第2条で「その目的を実現するため・・・次に掲げる目標を達成する」としており、「目的」と「目標」をなぜ分けるか等、両者の関係が不明瞭である。例の「愛国心」の文言は第2条に入ってきており、さすがに愛国心の涵養を教育の目的には据えられなかったので、こういう構成にしたのではないかという疑いがある。
 これに対して現行教育基本法は第1条で目的を述べ、第2条では「教育の方針」、つまり目的達成の仕方を論じており、両者の区別ははっきりしている。
 法律の構成としてどちらが優れているかは明らかだろう。
 なお、後の議論との関連からここで言っておくと、この第2条の中に「学問の自由を尊重し」という言葉がある。


・現行教育基本法の第6条には「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて」という文言がある。学校の教員は国民全体に奉仕する者であり、例えば時の政権或いは与党に奉仕するわけではない、ということが明確に打ち出されているわけである。このような文言は改正案には見当たらず、教員の位置づけ及び政治からの独立性がより不明瞭になっている。「教育は国家百年の計」であるのなら、100年も同じ与党が政権を担当し続けることはありえないから−−もちろん、あってはならないのである−−、現行法と改正案のどちらが優っているかは明らかだろう。


・改正案では第7条に「大学」という規定を設けてごたごたと書いているが、こういう規定を設けることは、文科省など学問のわからない役人がいろいろ口出しする法的根拠を与えるだけである。文科省に大学が振り回されて、その結果大学がましになったという話は聞いたことがない。これに対して現行法は、上で見たように第2条で「学問の自由を尊重し」と触れているのみで、後は一切黙して語らずである。どちらがましかはここでも明らかだろう。


・現行法第10条に「教育は、不当な支配に服することなく」という文言があることは周知だろうが、これと同じ文言は改正案第16条にもある。両者の違いはむしろ、現行法第10条でその後に続く「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」という部分に存すると言えるだろう。つまり、現行法第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」となっており、ここで言う「不当な支配」という言葉では文脈上、具体的には例えば、時の政権からの圧力といったことが念頭に置かれていることがわかる。このような精神が他の条文からも窺えることは上で見たとおり。
 これに対して改正案では「国民全体に対し直接に責任を負つて」という部分がなくなっているため、「不当な支配」が何を意味するかが不明瞭になっており、例えば「不当な支配」の出所が日教組であるというような、現行法の精神からすればとんちんかんな解釈も許容しかねない文面になっていると言える。
 どちらが首尾一貫しているか、つまり法律として優れているかは明々白々だろう。


[結論]要するに、教育基本法改正の必要は全くないのである。こんな改正案が通ることは、むしろ日本人の立法能力の低下を意味すると言わざるをえない。



追記
 教育基本法の政府改正案の問題点を指摘したものとしては、とりあえず次の情報が良いように思われる。
http://homepage2.nifty.com/1234567890987654321/2006.5.9.chap1.pdf
これは実際に刊行されている本の一部のようであり、さらに詳しくは当の本
日本教育法学会教育基本法研究特別委員会編
憲法改正の途をひらく 教育の国家統制法−教育基本法改正政府案と民主党案の逐条批判<新版>』、母と子社
を読めばよいのだろうが、とりあえずインターネット上で得られる情報として、上記リンクを紹介しておきたい。