著作権延長の動きに関する記事

 朝日新聞9月12日朝刊の文化欄の記事「著作権のふしぎ 上」は、残念ながらasahi.com上では見られないようだが、著作権延長の問題は以前から気になっている問題なので、この機会に少し書いておきたい。


 著作権の保護は無論必要である。しかし、保護期間を「著作者の死後50年」さらには「死後70年」までとするなどは、全く合理性を欠くと言わざるをえない。記事には

 「米国、欧州連合(EU)各国など多数の先進国と、ペルー、ブラジルなども含む計53ヵ国が「死後70年」に足並みをそろえており、「日本は後進国であるかのような恥ずかしい事態だ」(ある文芸団体幹部)というのだ。」

とあるが、欧米諸国がやっていることをやらなければ後進国だという発想こそが、典型的な後進国的発想だと言わざるをえない。


 合理的に考えるなら、著作者が若くして死んだ場合に、その著作者の創作を助けた人物(ということで想定できるのは、通常は配偶者だろう)が、当の著作に由来する恩恵を受けられることは必要だろう。このような配慮の必要性は認められる。というよりむしろ、著作権を著作者の死後も保護すべき理由は、唯一この点にあるのではないだろうか。


 しかしそうだとしても、当の配偶者が国家から年金をもらえるような年齢になれば、そのような配慮をすべき必要性は、なくなるとまで言わないとしても、低減するとは言えよう。このように考えるなら、最も長い期間を考えるとしても、著作者の死から起算して一世代、すなわち30年間、保護がなされれば、十分なのではあるまいか。


 だいたい、或る著作の著作権に由来する収入だけで生活が成り立つというようなことはごく稀なケースに限られるだろうから、そもそも、著作者に先立たれた配偶者の生活が成り立つかどうかという観点から考えるなら、ふつうの場合には、著作権の保護期間が長かろうが短かろうが、生計の足しという意味では大して意味がないのかもしれないのだが、しかしなお、あえてその稀なケースを考慮して、死後30年間というところまでは認めてもよい気がする。だが、仮に著作権に由来する収入だけで30年間生きることができたとしても、当の配偶者はその30年の間に、別の生活基盤を作ることは十分できるはずだし、そういう基盤は作られなければならない。そのような準備のための期間として著作権の保護期間を位置づけるなら、30年は十分すぎるほど長いのではなかろうか。


 死後50年はどう考えても長すぎる。まして、70年はどうしようもなく長すぎる。70年などということになってくると、著作者が70歳にならないで死んだ場合に、その著作者の著作権が死後70年間保護されるというようなケースも、頻出するのではあるまいか。これはどう見てもおかしい。


 著作者の死後の著作権保護を長くすることは、それだけ死者による生者の支配・統制を長くするということである。この世界は生きている者のためにあるのであり、死者による生者の支配を長引かせるのは根本的に間違っている。