日本は核武装せずに自国の防衛を行なうことを世界に宣言すべき

 私は軍事には全くの素人であり、そのような観点から日本の防衛について語るべき何事ももっているわけではない。しかし、今日本では、我々日本人がどれほど自覚しまた注視しているか否かにかかわりなく、米軍再編との関連で自衛隊の米軍への統合度がますます高まっている。これはすなわち、日本が自国の防衛を自国だけではできなくなってきており、その程度がますます甚だしくなってきている、ということだと考えられる。日本の政治とか独立といったことを少しでも考える人間であれば誰でも、今、日本の防衛のあり方について、それがどのようになりつつあり、また本来どのようであるべきかについて、多少とも考える必要があるのではないか。


 こう思っていたので、田中宇氏の「国際ニュース解説」の最新号「多極化と日本(1)」
http://tanakanews.com/g0912japan.htm
は、次のような考えを示唆しているように思われ、大いに得心がいった。


 その考えとは、仮に日本が核武装をしても、その場合に仮想敵国となるのはいずれも広大な版図を有する大国であり(中国、ロシア、そして−−田中氏自身はそうは言っていないが、潜在的には−−アメリカ)、お互いに核兵器を打ち合えば、狭い日本の方が壊滅しても広い敵国の方は壊滅しない可能性が高く、したがって日本は核武装をしても無駄である、というものである。(田中氏はこういうふうに言っているわけではないが、「核抑止力の本質」という小見出しのもとで述べられている氏の議論がこのような含意を有することは明らかだろう。)


 また、田中氏が「日本が核武装しても、・・・日本は「非核国」として世界から得てきた良いイメージをも失うことになる」と述べているのも全くそのとおりと思う。と言うよりむしろ、日本が本当に「非核国」、すなわち被爆体験を重視して核廃絶を訴える国たらんとするのであれば、日本はあらゆる意味で本当に核兵器と縁を切るべきではなかろうか。


 これに対して、日本が核の傘から離れたら、核兵器が本当に日本に対して使用されるのではないかと不安に思う人々が少なくないだろうか。この点については、もし日本が、上に述べたように本当に「非核国」たらんとするのであれば、我々日本人は核兵器による攻撃を受けることに甘んじるべきではなかろうかと私は思う。本当に「非核国」たらんとするのであれば、ハラを決めるべきなのである。少なくとも私は、核兵器が非核国に対して公然と使用されるような世界に生きたいとは思わない。