額賀財務相の証人喚問見送り――国政調査権の使い方をめぐって


 防衛省汚職事件との関連で12月3日に参議院財政金融委員会で実施が予定されていた額賀財務相の証人喚問が、中止ということになった。


 この中止という決定に至るに当たって重要だったのは、1つは江田参院議長の調停だろう。これについては、議長の立場上「円満にやってくれ」としか言いようがないということもあろうかと思われるので、とやかく言うつもりはない。


 もう1つは共産党の反対である。これについては次の記事共産党の言い分を伝えている(同趣旨の次の記事もある)。引用しておくと、

証人喚問をめぐる共産党の基本的立場 志位委員長が会見



 日本共産党志位和夫委員長は二十九日、証人喚問問題での穀田恵二国対委員長の表明を受けて記者会見し、あらためてこの問題での態度を問われ、証人喚問の重要性、なぜ全会一致が重要なのか、今後、軍事利権疑惑にどのように対応するかについて次のように答えました。


 ―証人喚問についての考えは。


 証人喚問の必要性という問題では、額賀福志郎財務相の喚問を求めていくことにいささかのかわりもありません。宴席問題もありますが、「山田洋行」との関係だけでも、「お車代」、パーティー券問題があり、さらに「口利き」疑惑の問題もあります。軍事利権への関与の疑惑の全体を究明するために、証人喚問が必要だという点ではいささかもかわりありません。


 ―二十七日の参院財政金融委員会での対応について。


 今回の議決をめぐって、日本共産党は、証人喚問は全会一致でという立場で対応してきました。大門議員も理事会の場で、全会一致ということを繰り返し提起してきました。ところが最後の局面で多数決という流れになり、そのときに現場で、賛成か反対かのどちらかの選択肢しかないと考え、退席して棄権するという選択肢を考慮の外に置いて採決に加わってしまったわけです。全会一致という方針を主張してきたが、最後の段階になって退席して棄権するというベストの対応がおこなわれなかったのは間違いだったということを、本日、明らかにしたわけです。


 ―なぜ全会一致が重要か。


 証人喚問は、仮に偽証をした場合には、刑事罰に問われるような重要な場ですから、これは国会のルールとして、全会一致で決められるべきだというのが、慣例としてやられてきました。ですから、多数決で決めるというやり方はよくないと考えています。


 今回、多数決で議決したことによって、それが今後は慣例になって、証人喚問をどんどん多数決で議決するようなことになると、証人喚問という性格にふさわしい、慎重な取り扱いが必要という点からみて、たいへんまずい先例を残すことになります。


 私たちの基本的立場は、与党であれ、野党であれ、国会の民主的ルールや慣例を違えた数の横暴には反対するというものです。民主的なルールを守ってこそ、議会制民主主義がなりたっていくわけですから。今日の穀田国対委員長の会見での表明は、そういう立場からの対応です。


 いま、われわれは軍事利権の徹底解明に取り組んでいるわけですが、全会一致という民主的慣例を守るプロセスをきちんと踏んでいかなければ、逆にそれが真相解明の障害となりかねない危険があります。一番まずいのは、多数で議決したことで、報復的な事態が起こり、双方が多数決で議決しあうという、一種の泥仕合のようなことになったら、真相究明のうえで一番まずいと思います。


 民主的手続きを尽くす、道理にたった追及をおこなう、そういうことを通じてこそ、はじめて軍事利権の全容究明という国会の責任を果たすことができると考えています。


 ―十二月三日の証人喚問にはどのような態度をとるか。


 いまの段階でいえることは、いったん議決したことだから予定通りおこなうということではなくて、与野党の合意になるような努力を最大限すべきだということです。


 ―与党の合意が得られない場合は。


 無理押しすべきではないと考えます。額賀氏は財務相として答弁席に座っているわけです。宴席疑惑だけでなく、軍事利権につながるさまざまな疑惑があるわけで、そういう問題を一つ一つ明らかにし、与党も喚問に賛成せざるを得ない状況をつくっていき、全会一致にもっていく努力を追求することが何よりも大事だと思います。

 文中で「全会一致という民主的慣例」という言い方があるが、言うまでもなく、全会一致という決め方自体が民主主義的であるわけでは必ずしもない。というよりむしろ、全会一致は、民主主義的にものを決める時にはふつう起こらない(起こりえない)決め方なのではなかろうか。意見の対立があるのが、民主主義的な決定における通常の状態なのだから。


 実際のところはと言えば、今回のような決め方(多数決での証人喚問決定)が行なわれるようになると、少数政党にとって不利な証人喚問の決定が今後乱発される恐れがあるという懸念が共産党の側にあり、その結果こういう立場の表明に至ったのだそうである。


 ではどう考えるべきか。こういうことは単純に考えるのが良いと私は思う。すなわち、証人喚問をやるべきならやるべきであり、やる必要がないのならやらなければよい。


 共産党の穀田国対委員長は自分のブログで

 (サンデープロジェクトでの発言)「額賀氏の喚問はすべきだという立場だ。」「しかし、証人喚問は原則として全会一致でやるべきだ。 野党の賛成だけでやろうとしたとき、棄権すべきであって賛成したのは間違いだった。」と、わが党の態度を正確に説明。

と述べ、

 これには田原氏も「ゴメンなさいと言う共産党はえらいねぇ」と述べて、間違いを率直に認め、証人喚問には全会一致との立場を示した日本共産党の対応を評価した。

と自慢げに書いているが、言うまでもなく、田原総一朗のお褒めの言葉など、もらっても少しもありがたくない代物であり、「喚問は必要だが、喚問に賛成するのは間違いだった」というのは、理詰めのはずの共産党としては話が全く論理的でないと言わざるをえない。


 上の共産党委員長の発言では「多数で議決したことで、報復的な事態が起こり、双方が多数決で議決しあうという、一種の泥仕合のようなことになったら、真相究明のうえで一番まずい」とあるが、そういう報復合戦が起こるなら、それこそが多数の横暴なのであって、その時に批判をすればよいのではあるまいか。今回の喚問をめぐっても、自公が衆院で、参議院の委員会で額賀財務相の行動を詳細に問題にした民主党の委員を証人喚問にかけようという動きないし発言があったが、やれるものならやってみろであり、もし明らかに党利党略の産物たるそういう証人喚問を与党が決めたなら、これこそが批判に値するのである。そもそも証人喚問の報復合戦など、国会がやりだしたなら、世論が黙っていまい。


 共産党の言い分を全く理解しないつもりではない。ただ、今の国会の状況――いわゆる「ねじれ国会」――において発揮が期待されている、参院発の国政調査権のその代表的な例が、ほかでもない証人喚問なのである。これをやるのに与党の賛成を気にする(全会一致を尊重するとは、そういうことではないか)のは、ねじれ国会を作ることを是とした、先の参院選での民意を、ないがしろにすることになりはしまいか。


 こと今回の事例に限って言えば、守屋前防衛事務次官と額賀財務相(元防衛庁長官)という2人の同時喚問が守屋氏の逮捕によって実現しにくくなったことから見て、12月3日の喚問の中止はやむをえないかもしれない。しかし、繰り返しになるが、(内容から見て)喚問をやるべきなのなら、それはあくまでやるべきなのであって、全会一致でなかろうが、やることを決めるのが筋である。また、私が知りえた限りでは、守屋氏を逮捕した東京地検特捜部は、国会による守屋氏の喚問に対しては協力する旨発言しているという。逮捕が証人喚問の障害となるというのは、私には逃げ口上に見える。野党は、改めて証人喚問を求め、参院において国政調査権を行使して、政府・与党が放置し、或いはさらに関与してきたかもしれない、防衛省をめぐる疑惑の追及を推し進めるべきではなかろうか。