自民党政権の限界


 15日から始まる自民党総裁選では麻生氏と福田氏の一騎打ちとなることが決まった。新聞などでは福田氏有利が伝えられるが、推薦人名簿

朝日新聞この記事から転載)
を見た限りでは、福田氏と麻生氏の両方へ推薦人を出している派閥がかなりある。どちらが総裁になるか、蓋を開けてみるまではわからないと言うべきだろうと思われる。


 ついでに言えば、本ブログは別に自民党支持ではないが(むしろ、政権交代を渇望している現状では、反自民の立場をとっていると言ってよい)、福田氏の方がまだましだと言っておきたい。麻生氏については、問題発言男であることもさることながら、それだけでなく、昨年8月に氏が靖国問題について行なっている提案を危険視しないわけにはいかない(同提案については「麻生太郎オフィシャルサイト」内のこのページこのページを参照)。このような提案は、現行憲法が定める中でもとりわけ重要な政教分離原則をないがしろにするものであり、断じて容認できない。


 というわけで、福田氏の方がまだましだが、しかしその福田氏であっても、既に限界が見えているように思われる。その限界について、ここでは指摘をしておきたいと思う。


 その限界とは、言うまでもなく、「小泉構造改革を継承する」という福田氏のスタンスである(これはもちろん麻生氏のスタンスでもある)。このようなスタンスがどこに由来するかについての私見は、既に この記事で述べたとおりであり、一言で言えば、(相も変わらず輸出企業を中心とする)日本の経済界の言い分をそれは反映している。それが国民にとっていかに不幸なことかは、既に過去記事で述べたとおりなのでここでは繰り返さない。


 あえて付け加えるなら、構造改革の推進という考えが100%間違っているとここで言いたいのではない。――と書くと、なんだお前も小泉構造改革を否定していないのか、と言われるかもしれない。しかしそうではない。構造改革と言う際にするべきは、単に公的部門を民営化すること(小泉構造改革の内実はこういうことだと言ってよい)ではなく、公的部門の支出の中身に切り込むことであり、かつ情報公開によってガラス張りの運営をすることである(民間企業が行なっているような経費節減努力は当然行なわれてよいだろうが、それと民営化とは話が異なる)。年金制度にしても、また郵便制度にしても、民営化するべきでない公的部門というのは確かに存在するのである。
(ついでに言うと、私は、生命保険業もまた、これを民間に行なわせるべきではないと考えている(つまり、現状に即して言うなら、国営化が望ましい)。何より、人間の生命を商品化の対象とするところが倫理的に全くの間違いだからであり――この誤りのゆえに保険金殺人が後を絶たないのは周知の事実である――、また、そもそも国民の生命に関する保障は公的部門が行なうことこそふさわしいからであり、そして、保険金支払いの可否の判断のために行なわれる調査は実のところ警察の捜査と大して変わりがなく、その意味でも公的部門が、大した手間をかけずに代替することが可能だからである。)


 そして、公的部門の支出の中身に切り込むことが果たして自民党政権にできるか。答えが否であることは、これまでの長い自民党政権の歴史が事実によって証明している。だから、自民党政権は終わらなければならないのである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。