劇場型政治を根絶させるためにはどうしたらよいか


 自民党の総裁選の記事が新聞やテレビのニュースに踊るようになってきた。実に馬鹿馬鹿しく、嘆かわしいことである。なぜかと言えば、私には全く無関係な話だからである。いったい、総裁候補とやらの街頭での演説に耳を傾ける人のうちのどれほどが、実際総裁選びに票を投じることができるのだろうか。ごくわずかであることは全く明らかであり、であるなら、なぜにそんなに総裁選とやらで騒ぐのか(総裁が決まり首相が決まってから騒いでもよいではないか)、全く解しかねる。


 この馬鹿騒ぎを根絶させるためにはどうしたらよいか。もちろん、国民一人一人が騒ぎに惑わされずに判断できるようになることが重要だろう。その関連で、一、ニ思うことを記しておきたい。


 まず、アメリカの大統領選との対比で言うなら、首相の選び方はアメリカの大統領のそれとは全く異なるということ、この点に再度我々は思いを致すべきだろう。周知のことかもしれないが、学校で政治について学ぶ際、この点は必ずしも然るべく強調されていないかもしれないからである。


 つまり、日本の政治の最高指導者たる首相は、我々が直接選ぶのではなく、我々が選んだ国会議員(特に衆議院議員)たちが選ぶのである。そして言うまでもなく、今回の自民党総裁選は、選挙権者たる国会議員の構成を少しも変えるものではない。さらに、本ブログの立場からすれば、福田がなろうと麻生がなろうと、それが自民党政権(+創価学会党)であることには何ら変わりがない(もっとも、靖国問題に関しては両者の間に重大な相違があることは、既に昨日の記事で述べたとおりだが)。我々が真の意味で首相を選ぶには、我々の意思を衆議院議員選挙で示さなければならないのである。


 もう1つ、我々が政治家を論じる際の論じ方の問題がある。政治家を論じる際には、その人柄を前面に出すことはすべきでない。政治家を論じる際に決定的に重要なのは、その政治家がこれまでに政治問題に関してどのような発言をし、そして特にどういうことをしたか(どういう法案に賛成し、何々大臣としてどういうことをし云々)、である。メディアは当然そういう情報を、今回の麻生・福田両氏についても蓄積しているはずであり、総裁選報道でまず為すべきは、そういう情報(誤解はないと思うが、いわゆるプロフィールのような情報を指しているのでは全くない)を詳細に報じることであるはずである。しかし、私の見るところ、報道はそうなってはいない。これはメディアの怠慢と評すべき事柄である。


 言うまでもないだろうが、こう言うことで、今のメディアにありがちな皮相的な報道(総裁候補の演説スタイルはどうか、アピールの仕方はどうか、といったたぐいの報道)をもここでは批判しているのである。


 このテーマでは、書こうと思えばさらにいろいろ付け加えることが可能かもしれない。気がついたら随時追加していくことにする。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。


追記
 この記事によると、安倍首相の入院は今週いっぱい、つまり総裁選が終わるまで続くとのことである。人気取りを図る自民党にとって安倍は完全に用無しになったと見てよいようである。