教育基本法改正問題をめぐる数々の不見識(2)産経新聞の社説(11月16日づけ)

 別名「御用新聞」である産経新聞に見識を求めることなど、そもそも間違っているのかもしれない。しかしともあれ、批判は一応しておかなければならない。以下にまず批判対象を引用しておく。

平成18(2006)年11月16日[木]
■【主張】教育基本法改正 やむをえぬ与党単独可決
 自民、公明両党は今国会の焦点である教育基本法改正案を野党欠席のまま、衆院教育基本法特別委員会で可決した。16日に衆院を通過させ、参院に送付する予定だ。
 民主党など野党は「採決が前提にある限り、委員会の質疑には応じられない」と欠席した。与党の採決を受け、野党はすべての審議を拒否することにした。
 この改正案は戦後教育の歪(ゆが)みを正し、教育の主導権を国民の手に取り戻す意味合いがある。与党単独の採決になったが、やむを得ない。
 民主党は政府の改正案に対抗して独自の「日本国教育基本法案」を提出していた。愛国心について政府案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」とし、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としていた。民主党案はまた、政府案にない「宗教的感性の涵養」を盛り込んでいた。
 与党と民主党が協議し、より良き案にすべきだったが、民主党小沢一郎代表は来夏の参院選に向け、社民党などとの共闘を優先した。教育基本法改正そのものに反対してきた社民党などと違い、対案を示していただけに民主党の対応はきわめて残念である。
 現行の教育基本法は昭和22年3月、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けながら成立した。とくに現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」の規定は、文部科学省教育委員会の教育内容への関与を排除する根拠とされ、問題となっていた。
 これに対し、政府案は「不当な支配に服することなく」との文言を残しているが、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とするくだりが加わった。このため、国旗国歌法や学習指導要領などを無視した一部の過激な教師らによる“不当な支配”は許されなくなる。
 また、政府案は家庭教育について「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と規定している。いじめや学級崩壊、不登校などの問題で、家庭の責任を問う内容になっている。
 伊吹文明文科相は「ある程度の変更」に言及している。参院での与野党共同修正を模索する動きも出ている。民主党は抵抗政党ではなく、責任野党としての存在感を示すべきだ。

 まず何よりもおかしいのは、「与党単独の採決になったが、やむを得ない」としている点である。そもそも民主制とは多様な思想・考え方を許容するべき政治体制であり、そして教育はその国の将来(の方向)を決める上で非常に重要な要素である。言うまでもなく、議会ではいかなる法案についても審議・話し合いが尽くされることが重要だが、こと教育の理念について定める教育基本法については、もし日本が今後とも民主主義国家として多様な思想・考え方を許容する国であり続けようとするのなら、国のそのようなあり方を支える教育にかかわる法律こそが教育基本法なのだから、審議・話し合いが徹底に行なわれることの必要性は他の諸々の法案にも増して大きいと言わなければならない。「やむを得ない」の一言で済ませてよい話では全くない。産経新聞は民主主義の何たるかを理解していないと評さざるをえない。


 次に、この社説は「この改正案は戦後教育の歪(ゆが)みを正し、教育の主導権を国民の手に取り戻す意味合いがある」と言っているが、これは実に著しい誤解だと言わざるをえない。現行の教育基本法では、教育は国民に対して直接責任を負っているということが、政府改正案よりも遥かに明確な仕方で、しかも簡潔に、述べられている。現行の教育基本法それ自体は教育の主導権が国民の手にあることをはっきりと語っているのである。よく指摘されるように、戦後教育の歪みとは、文部省−文科省が現行教育基本法から逸脱して、学習指導要領その他によって国による統制を強めようとした結果生じたものである。


 次に、「現行の教育基本法は昭和22年3月、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けながら成立した」というのも事実誤認であるということは、このブログでも既に以前の記事で、基本法作成に携わった南原繁氏の言葉を紹介しつつ述べたところである。事実の誤りを社説で書いて恥じないような新聞に、真理・真実を教えるものである教育について論じる資格はないと言わざるをえない。


 しかし、所詮御用新聞御用新聞であり、そういうものを読むような読者は、そもそも政府のプロパガンダによって洗脳されたいと思っているような人々なのだろうと思われる。ここで御用新聞を批判しても、その批判は御用新聞の愛読者には届かないだろう。


 そのような人々の誤りは単に教育問題にかかわるばかりではない。そもそも政治に対する基本的認識という点で御用新聞の愛読者は誤っているのだが、しかしながら、それを正すのに重要なのは、やはり教育である。あえて、御用新聞がはらむ問題を取り上げた所以である。


 最後に、それにつけても議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。