教育基本法改正問題をめぐる数々の不見識(3)加藤紘一氏の考え

 まず誤解のないように言っておかなければならないが、私は、自民党の政治家の中で最も優れた見識の持ち主は、ほかでもない加藤紘一氏だと思っている者の一人である。しかし、だからこそ、以下に紹介する、教育問題に関する氏の発言の中に見られる不満足な部分を指摘しないわけにはいかないのである。


 加藤氏のオフィシャルサイトで見られる、氏の発言をまず引用したい。

【ご質問】教育基本法の改正が今国会で成立しそうですが、先生は賛成? 反対?
【おこたえ】正直言いますと、教育基本法の改正については、あまり興味がありません。というのは、直したところで何も変わらない、それで明日から戦争になるというものではないからです。
 ただ、教育基本法の議論がなぜここで急に出てきたかという背景については、考えてみたほうがいいでしょう。
 自民党内では昔から、世の中に理解できないような出来事が起きると、かならず「教育が悪い」「日教組の戦後教育が日本の心を教えなかった」という声が出てきます。ここ5年くらいの流れで見ますと、最初に出てきたのは日本人の心を『教育勅語』でもう一度教え直そうという議論でした。それが1年半ほどでストンと落ち着いて、誰も言わなくなりました。それも当然といえば当然です。教育勅語をよく読んでみると分かると思いますが、親孝行や夫婦の和合、遵法、義勇心などについて述べられている、600語ほどの短文です。戦争中なら、皇国史観による天皇中心の国のあり方に説得力がありましたが、今は時代が変わっているのですから。
 その後、日教組がけしからんという議論に移りましたが、日教組も今や組織率20%代に落ちており、特定の地域を除いて、あまりかつてのようにイデオロギー的でもなければ、政治的な活動もできなくなっています。
 そんな状況で「日本人の心」を教えるといっても、果たしてそれを教えられる先生がどれほどいるのでしょうか? 「第1級大和魂士」「第1級愛国士」なんて資格試験をするつもりか、と新右翼のリーダー鈴木邦男氏の著書にありましたが、確かにその議論に具体的に入ると大変です。そこで、とにかく教育基本法の改正で突破口を開こうとしている──私は、大まかにそんなふうに流れを読んでいます。
 流れはともかくとして、最初に言ったように、教育法の改正といっても一種の基本法ですから、具体的に大きな変化などは起こらないでしょう。私は教育基本法の改正に過大な期待を抱くべきではないと思うし、ましてや滅茶苦茶な改悪になるものでもないと思っています。
 それよりも、安部内閣のしようとしている学校評価制度、教育バウチャー制度など、現に存在するもっと具体的な問題に目を据え、しっかりと議論しながら、その背後にある問題点にまでその議論を深めていくことのほうが大切です。特に教育バウチャーの施行によって、学校と地域の絆、町内会といったコミュニティがズタズタに壊されてはしまわないか、そこを議論しなければならないと思っています。

 実は、ここで書かれている認識の多くについては、私も加藤氏の意見に賛成である。例えば、教育勅語の復活が時代錯誤であること、「日教組けしからん」という議論が今日では意味をなさなくなっていること(前日の記事で紹介した産経新聞の社説の、「不当な支配」に関する主張が全くの時代錯誤であることは、このことからも明々白々である)、全くそのとおりである。教育基本法を変えたところで「明日から戦争になるというものではない」というのも、これもまたそのとおりである。


 しかし例えば、加藤氏は「「日本人の心」を教えるといっても、果たしてそれを教えられる先生がどれほどいるのでしょうか?」と書き、そんなことを教育基本法改正案に盛り込んだところで「具体的に大きな変化などは起こらないでしょう」と言っている。果たしてこれは正しいだろうか。既に本ブログでも何度か書いているように、政府改正案では、「わが国と郷土を愛する態度」など「態度」の涵養が謳われている。「態度」とは目に見えるものであり、客観的評価が可能である。知る人の知るように、既に小学校学習指導要領には次のようにある。

第3章 道徳
〔第3学年及び第4学年〕
4 主として集団や社会とのかかわりに関すること。
(6) 我が国の文化と伝統に親しみ,国を愛する心をもつとともに,外国の人々や文化に関心をもつ。

〔第5学年及び第6学年〕
4 主として集団や社会とのかかわりに関すること。
(7) 郷土や我が国の文化と伝統を大切にし,先人の努力を知り,郷土や国を愛する心をもつ。

 同様な文言は中学校学習指導要領にも見られる。つまり、教育すべき内容として、愛国心が既に盛り込まれているわけだが、それが今回の改正基本法によって法的根拠−−しかも、教育の憲法と称される教育基本法という根拠−−を与えられることになるのである。教育現場において、愛国心教育のさらなる強化が上から要請されるというような事態が生じることはない、「具体的に大きな変化などは起こらないでしょう」と、なぜ言えるだろうか。


 また、上で見たように、確かに「教育基本法を変えたところで、明日から戦争になるというものではない」、これはそのとおりだろう。しかし、10年後20年後に日本が戦争を起こす国になっていないか、そのことと今回の教育基本法改正との間には何の関係もないか、という問題は、これは別の話である。日本という国は、かつて国民が他の国民を「非国民」呼ばわりすることが当たり前に行なわれた国である。そしてそのことが、国民自身によって深刻な反省の対象となったということは今に至るまでない。愛国心なるものが、国威の無益な発揚のために動員され、そしてそれに与しない者が非国民呼ばわりされること、これは、日本人自身がそれを克服しえていない以上、決して過去の話ではないのである。


 そして加藤氏は「現に存在するもっと具体的な問題に目を据え、しっかりと議論しながら、その背後にある問題点にまでその議論を深めていくことのほうが大切です」と言っている。まことにもっともだが、しかし実は、教育基本法について議論する場こそが、「その背後にある問題点にまでその議論を深めていく」場でなければなかったのではないか。加藤氏の考え方から見ても、教育基本法に関する与党の審議の進め方−−憲法調査会のような調査会を国会に設置して議論を深めることなしに、いきなり法案審査から始めたというやり方−−は批判されるべきだったのではなかろうか。自民党の内部から、教育基本法改正に関する今回の動きに対して懸念・批判の声が上がらなかったことは、実に残念でならない。もちろん、今からでも、自民党内部で声を上げることはあってよいのだが。


 ここであえて、加藤氏の立場を忖度するなら、既に氏は安倍政権に対して相当に批判的な立場を表明してきている。しかし、その批判を、安倍が己の妄執にのみ基づいて改正しようと意欲を見せている教育基本法にまで向けると、自分が党内に居続けることが難しくなるだろうと加藤氏は予想し、その結果、こと教育基本法というイシューに関しては発言を控えたのではなかろうか。これは、理解できなくはない。


 しかし、安倍政権の教育政策に関して批判的な立場に立つ人は、自民党で加藤氏だけではないはずである。同志と協調して、政府のやり方に対して反対ないしは懸念を表明することはなお可能だったし、今でも可能なのではないか。そしてそうする方が、例えば加藤氏が強く批判している教育バウチャー制度が議論の俎上に上った時にも、批判がやりやすくなったのではなかろうか。私の目には、加藤氏は安倍政権を批判し矯正する機会を逸したように見える。ぜひ加藤氏は考えを改めてほしいと希望するほかない。


 なお、加藤氏の発言に関するコメントの最後として述べておくと、いわゆるいじめの問題との関連で、学校から逃げ場がないことがいじめが後を絶たない原因であるという理由から、学校選択制(つまり、教育バウチャー制度)を支持する識者もいるようである。このような点を例えば加藤氏はどう考えるのだろうか。どのような問題もそうだろうが、教育問題もまた、考え出すといろいろ難しい要素を含んでいる問題のようである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。加藤氏のように自らの言説によって政治家としての価値を既に証明している人は別だが、一般論として、これから出てくる政治家については、議員の世襲はあってはならない。これは民主主義の精神・根幹にかかわる問題である。