選挙で野党が勝つにはどうすればよいか

 与党と野党が総力戦で激突した沖縄県知事選は与党候補の勝利に終わった。次の分析によると、

「経済活性化」56%が望む 「基地」の倍 沖縄知事選 http://www.asahi.com/politics/update/1120/002.html


「新しい知事に最も力を入れてほしい点」を質問したところ、「経済の活性化」が56%、「基地問題」が28%と、ダブルスコアだった。
 実際の投票行動との関連を見ると、「経済の活性化」を選んだ人のうち、仲井真氏に投票したのは67%、糸数氏には32%だった。

この点が選挙結果を決定づけたであろうことは疑いない。


 しかし、今回の野党候補は、知名度は十分、かつ野党全体の支持をまとめることのできた人物であり、今の野党が(しかも統一候補として)担ぐことのできる候補として、これ以上の人はちょっと見当たらないのではないかというぐらいの優れた候補だった。その候補ですら敗れたことの意義は大きいと言わざるをえない。いったい野党は選挙に勝つことができるかどうか、という点から見てである。


 以前衆議院議員をやっていた白川勝彦氏が、或る選挙の際に「政権交代はひとつの革命だ」と言っていたのを思い出す。
http://www.liberal-shirakawa.net/ectn/rev.html
確かに、政権交代とは合法的な政権転覆であり、その意味で革命だというのは制度理解として全く正しい。しかしそれだけでなく、「政権交代は革命だ」という言葉には、多数の国民が保守的な日本の場合特に、政権交代がいかに困難かということを、意図せずして言い当てているところがあるように思える。革命は、そう簡単には起こらないからである。


 アメリカでこのほど行なわれた中間選挙民主党が多数をとった。議会の勢力図が変わったのだが、しかし、あれだけの悪政を行なっているブッシュ政権に対してすらあの程度の批判票しか集まらなかった、と言うことができるかもしれない。しかも、言うまでもなくアメリカの場合には、議会選挙よりも大統領選挙の方が遥かに重要度が大きいのであり、したがって中間選挙での変化は、例えば日本の総選挙における変化などよりも、遥かに意義の小さいものだと言わなければならない。要するに、日本においてだけでなく、時の政権を倒すことは決して容易でないのである。そしてそれには、結局のところ、今の生活を変えたくないという、それ自体はきわめてもっともな保守主義が作用している。


 ここで、今の生活を変えたくないという保守主義が「それ自体はきわめてもっとも」であるのなら、政権交代の必要などないのではないか、という問いが出てくるだろうか。しかし、話はそう簡単ではないはずである。すなわち、今の生活を基本的に変えたくない人であっても、今の生活に100%満足しているか、或いはより広く、今の社会に100%満足しているかと言えば、少なくとも相当数の人にとっては、答えは否なのではないか。つまり、変化が必要な部分はあるというのが多くの人の考えなのではなかろうか。さらに、今の生活に満足していても、より良い状態を求めてさらなる変化をと考える人もいるかもしれない。


 思うに、実は政権交代とは、その程度の変化、つまり部分的な変化を求める際に使われて良い政治手段なのではなかろうか。革命という言葉が含意する大それた全体的な変化ではなく、である。なぜかといえば、政権交代を支える政治制度それ自体(議会制等々)が一々政権交代とともに変わるわけではなく、また行政部門は、政治任用の問題があるとはいえ、基本的にはスタッフは変わらないからである。


 さらに言えば、憲法第12条が言うように「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。今の憲法が掲げる諸理念は、不断の努力によって保持をしなければならないのである。なぜか。それは容易に歪められうるからであり、つまり、憲法が掲げる諸理念は、実は理想(言い換えれば、未だ実現されざるもの)を含んだものだからである。人々が今の社会に100%満足しているわけではないと言う場合、人々が何に照らして不満に思っているかと言えば、実は、突き詰めて考えれば、人々は、憲法が掲げる諸理念に照らして不満に思っているのである。


 野党の批判に対して「きれいごとを言っている」というような批判が語られることがよくある。しかし、「きれいごと」を言わなければならないそもそもの理由は、憲法の理念が理想を含んでおり、未だ十全には実現されていないというところにあるのである。だから、「きれいごと」は、言わなければならない。野党はきれいごとを言わなければならないのであり、野党がそうするのはきわめて正しいことなのである。そして、きれいごとが語られることを許容しない保守主義は、もはや保守主義ではなく、理想を全く欠いたものである現実主義であり、そのような現実主義がはびこる社会には希望はない。希望とは理想の別名だからである。


 ・・・今回の知事選を良い機会として、日本で政権交代を起こすにはどうすればよいか、考えてみた。残念ながら名案はない。さらに考えていかなければならないテーマである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。