教育基本法改正−−少なくとも強行採決だけは論外

 教育基本法改正政府案が採決されるかどうかが大詰めに来ている。次の情報によると明日14日に採決だという。
「石田日記」http://homepage2.nifty.com/ishidatoshitaka/diary.html
教育基本法:改正案、14日に参院特別委で採決」http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20061214k0000m010088000c.html


 数だけから言えば、採決を阻止することは絶望的に困難である。


 しかしよく考えられたい。事は、国の基本にかかわる教育、しかも子どもに対して行なう教育である。今教育の現場で民主主義がどう教えられているかはわからないが、しかしまさか「民主主義とは多数決でものを決めることです」などという乱暴な教え方はなされていないだろうと希望する。本ブログでは以前に書いたことだが、民主主義とは一人一人が納得のいくようにできることであり、つまり重要なのは納得を作り出すことなのである。そのように教えられるのでなければならない。


 子どもに対してそう教えるならば、そしてその教えることの枠組みに関する論議こそが教育論議であるのなら、それに関する決定を強行採決によって行なうというのはどう考えてもおかしい。示しがつかないことになる。他人に対して言うことと違うことを自らする人間はいわゆる偽善者であり、そのような人は、他人から軽蔑にこそ値すれ、尊敬には値しない。もし国会議員(正確には、与党の国会議員)が数にものを言わせて教育基本法改正を強行採決するなら、彼らは皆示しのつかない人間であり、偽善者であり、軽蔑にこそ値すれ、尊敬には値しない。今回の法律は、学校の教壇に立つ先生方を拘束するものであり、つまり国会議員は今回の法律の審議においては、学校の先生方の上に立っていることになるのである。学校の先生は、生徒から尊敬を受けなければ務まるものではない。ならば、その上に立つべき国会議員のセンセ方が、尊敬に値しない行為を行なってなぜ良いだろうか。


 今晩の間に与党の国会議員がおのれをとくと反省することを心から希望するほかない。誇張なしに、教育基本法改正は百年の計なのだから。


 なお、野党が採決に対して徹底的に抵抗すべきなのは言うまでもない。もし採決が行なわれてしまうとしても、それは必ず強行採決となるのでなければならず、そして、そうならなければ野党の存在意義はないと言わざるをえない。このように言うことが少しも矛盾していないことは、自明だろう。なぜなら、野党側の目的はあくまで採決阻止であり、その阻止を突破して採決を強行しようとするのは、また数の力によって採決を強行できるのは、ほかでもない与党だからである。


追記
 安倍が「タウンミーティングやらせ問題」で給料約100万円を返納するのだとか。
<首相、報酬約100万円を返納を表明 TMやらせ問題で>http://www.asahi.com/politics/update/1213/009.html
この記事で「首相自らが不祥事の「けじめ」として報酬をカットするのは極めて異例」とあるが、こんな子供だましにだまされてはならない。この返納は、要するに、そういう「大金」(個人というレベルで見れば)を返納してもありあまるほどの報酬があるからこそできるのである。


 言うまでもなく、この返納をこのタイミングで発表するのはすべて、明日、教育基本法改正政府案を採決に持ち込むためである。だまされてはならない。国の政策という点から見るなら、100万円という「はした金」と教育基本法の改正とは比べものにならない。


 繰り返すが、だまされてはならない。


追記2(12月14日)
 安倍だけでなく塩崎官房長官、伊吹文科相、長勢法務相、冬柴国交相も給料を返納するという。こういう姿勢に対して、今朝の参院教育基本法特別委員会で民主党の神本議員が「金さえ払えば良いのか」と批判し、これに対して安倍が「そういう言い方は失礼ではないか」と気色ばんで反論していたが、もちろん、「金さえ払えば良いのか」という批判こそが当てはまると言ってよい。昨日出された、タウンミーティングに関する最終報告書とやらもおよそ杜撰きわまりないものらしく、するべきはまず、給与返上よりも、そしてもちろん教育基本法改正政府案の採決よりも、きちんとした報告書を出す(出し直す)ことである。