安倍政権をどう見るか、靖国問題、他

 と題してはいるが、別に安倍氏の考え自体に興味をもっているわけでは全くない。安倍氏自身がカラッポな、無内容な政治家(政治屋)であることはもとより明らかであり、仮に安倍氏が首相になったとしても一日も早く辞めてもらうことが日本のために良いことは、同様に全く明らかである。ここではただ、安倍氏(したがって、安倍政権)が標榜しようとしている立場がどういう帰結をもたらし、それが日本の政治にどう作用するかといった点をめぐって、少し考えてみたいと思っているにすぎない。


 ビデオニュース・ドットコムではアメリカの知日派ジェラルド・カーチス氏をゲストに呼んで、安倍政権をどう見るかについて氏の意見が開陳されていた。
http://www.videonews.com/charged/on-demand/281290/000894.php
その中で、安倍政権が対外政策、特に対中政策で早晩行き詰まるであろうという指摘は、氏でなくとも十分予見しうることではある。ただ、カーチス氏が、政権発足後数ヶ月の間は、いろいろな小手先の政策を打ち出して、日中関係は改善するかもしれない、という見通しを示していたのは、興味深いことである。氏は日本の政治家に深く食い込んでいるようだから、何か具体的な根拠をもとに言っていたのかもしれない。


 とはいえしかし、それでも安倍政権が行き詰まりに陥るであろう原因として、氏は靖国問題を挙げていた。これが来年(の四月に、と氏は言っていたように記憶しているが)メディアによって話題にされる時期が必ず来る。その時には、行けば日中関係は必ず悪化し、行かなければ今度は、ナショナリストとして売り出そうとしている安倍氏の評判に傷がつく。しかもこのことは、歴史認識にかかわっており、しかも安倍氏は周知のように、東京裁判を認めないなどという独善的・自己満足的な歴史理解(「歴史無理解」と言った方がよいだろうが)の持ち主だから、いったんほころびが出れば修正はきわめて困難だろう。以上、カーチス氏が言っていたことの正確な紹介には必ずしもなっていないかもしれない(私自身の見方もだいぶ混ざっているかもしれない)が、ともあれ氏は、対中関係で安倍政権は行き詰まるのではないかという見通しを示し、かつ−−日本の軽薄なナショナリスト連中がよくわきまえ知るべきことだが−−アメリカは日中関係の悪化を少しも望んでいない、ともカーチス氏は指摘していた。


 なお、ビデオニュースの番組後半では宮台氏が靖国問題について、A級戦犯分祀によって公式参拝に道を開く一方で、無宗教の追悼施設をつくるという二本立てで問題の解決を図るべきとする自説を主張しているのが目についたが、全く愚かな考えだと言わざるをえない。氏は自分の主張を擁護するために、「制度は変わっても人間は変わらない」と主張し、靖国参拝がおろそかにされるのでは遺族は納得できないだろうという考えを示していたが、既に戦後60年以上の時間が経過しており、いわゆる「遺族」も既に二世代以上を経過しているのである。人間もまた既に十分変わっていると言わざるをえない。のみならず、周知のように靖国神社は戦争遂行者を顕彰し、先の戦争を肯定している。ところが現実には、先の戦争は、もともと負け戦が明白だったのだから回避すべきだったにもかかわらず政治の無能により回避ができず、そして戦争に突入してからは、軍部の無能により多くの兵士が戦場での野垂れ死にに追い込まれた。そしてこういったことは、天皇の神格化・神聖化が強まるという思想的・宗教的不自由体制を背景として進んでいった。このような戦争、及びそれをもたらした体制は、徹底的に否定することこそ重要なのであり、そうすることこそが戦没者をよりよく追悼する道なのである。当然ながら、政教分離は厳格に守るべきであり、したがって、首相などの靖国参拝は認めるべきでない。


 この関連で、上記番組でカーチス氏が言っていたことを紹介しておきたい。すなわち、「戦後の日本こそ平和的台頭を成し遂げた国であり、戦後の日本こそ誇るべきであるのに、戦後生まれの首相候補が八八歳の中曽根さんと大差ない考えをもっている」とカーチス氏は指摘していた。戦後の日本こそ誇るべきであるとの考え、全く同感である。そのような考えをすることが戦後生まれの首相候補にできないというところが、安倍政権の最大の問題であり、だからこそ、安倍政権は一日も早く消え去らなければならないのである。


 宮台氏の話についてもう1つ、氏は今の日本の政治家はナショナリストでなければならないかのような言説を弄していたが、これも全く愚かだと言わざるをえない。確かに民度の低さから、ナショナリストが好まれるかのような現実があるのは事実だが、日の丸や君が代を笠に着る輩を苦々しく思っている私のような人間は決して少なくないのではないか。韓国や中国で見られるような低級なナショナリズムは日本ではごめんこうむりたい。また、日本万歳などと言わないでおれる国であることこそが、日本人が誇るべきことではないかと私は思う。



 ところで、今回の自民党総裁及び首相の交代に際して注目すべき点の一つは、昨年の総選挙で造反組として自民党を離脱するはめになった人々がどうなるか、である。言うまでもなく、自民党は政権維持という1点でのみ結集している、後はてんででたらめな政党なので、議員の数は多いが良いに決まっているとの考えから、造反組のうち少なくとも無所属である人々には復党を促すのではないかと予想される。例えば、平沼赳夫
http://www.hiranuma.org/japan/index.html
などはその一人だろうと思われる。


 その平沼氏の上記ウェブサイトで、自民党総裁選をどう見るかについて語っているビデオがあったので見てみたが、案の定当たりさわりのない、くだらないものだった。自らの復党を睨んでの発言だと思われる。平沼氏は昨年8月、衆議院解散後に外国人特派員協会で講演を行なった際に「自民党は自由自在党ですから」などとにやけた顔で言い、自らの復党が遠からず実現するだろうとの考えを示していた(正確に言えば、氏が実際に自民党を離党したのは選挙後、2005年10月のことだが、造反組となった時点で、当時の状況から見て離党は必至だったろうから、こう書いておいても間違いではないだろう)。


 しかし、復党が容易にできるなどという考えは全くおかしい。本当に郵政民営化に反対するつもりで離党までしたのなら、復党するに当たっても自説を貫くのが当然ではないか。でなければ、反対は一体何だったのかと問わざるをえない。同じ問いは平沼氏だけでなく、復党しようとする造反組議員すべてについて投げかけられるべきものである。


 このようないい加減さ(もちろん、本当にいい加減かどうかは、復党が成るかどうかを見極めた上で最終的に論定するべきだが)に比べて、あくまでも自分の政党で自民党に対峙していこうとする亀井静香氏のような態度の方が、遥かに潔いと言える。政治家の発言は、学者の発言などと異なり、人物評価を交えた上で評価されるべきだと思われるので、亀井氏の発言
(例えばhttp://www.kamei-shizuka.net/media/2006/060901.html
の方が、平沼氏他などの発言よりも遥かに傾聴に値すると言ってよい。


 ところで、最近政治関係の情報源が相当に多様になってきた。それ自体はもちろん歓迎すべきことである。例えば、平沼氏の上記ビデオはもともと「超人大陸」というインターネットTVで放映されたものであるらしく、同TVではこの他に渡辺喜美氏(故渡辺美智雄氏の子息)の番組も見ることができた(URLは紹介しないが、検索で容易に到達可能だろうと思われる)。渡辺氏が靖国問題などで案外まともな考えを持っているのを知ることができたのはちょっとした収穫だった。(なお、氏の見解を手っ取り早く知るには、氏の書いたもの
http://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/2006/060810koizumigekijouf.html
を見る方が良いだろう。番組の何回分かで言われている考えがこの一つの文章のうちにコンパクトに収まっているようである。)言うまでもないが、自民党という政党がどうしようもなくとも、自民党議員の中にはまともな人も少なからずいるのである。


 必ずしも本題と関係ない話が多くなってしまったかもしれないが、基本的に備忘録として書いていることもあるので、特に編集せず、今回はこれにて擱筆としておく。



追記(2006-9-26)
 上で
「本当に郵政民営化に反対するつもりで離党までしたのなら、復党するに当たっても自説を貫くのが当然ではないか。でなければ、反対は一体何だったのかと問わざるをえない。同じ問いは平沼氏だけでなく、復党しようとする造反組議員すべてについて投げかけられるべきものである。」
と書いた点について。これが間違っているとは思わないが、ただ、批判の矛先は、やはり造反組議員よりも遥かに、自民党にこそ向けられるべきだろう。自民党がでたらめな政党であることは自明だが、それでもなお、復党を画策する自民党こそ、そのどうしようもないでたらめさのゆえに批判されるべきである。