かんぽの宿疑惑、竹中平蔵のダメさ加減、朝日の「サンデープロジェクト」


 私はサンデープロジェクトなる番組はほとんど全く評価していない。正確を期するなら、少し前に「佐藤優テレビ初登場」という時には見たことがあるが、しかし別にわざわざ見るほどのものではなかった。
佐藤優についてここでごちゃごちゃ言うつもりはないが、一言だけ言えば、天木直人氏が自らのブログで指摘しているように、佐藤某は露骨に親イスラエルの立場をとっている。)


 評価に値しないこの番組の今日(3月1日)の放映分が、私がよく見るいくつかのブログで取り上げられている。例えば、社民党衆議院議員の保坂展人氏のブログで取り上げられている。幸いYouTubeでも画像を見ることができるので、一応見てみた(リンクはこちら。その1その2その3その4。なお、リンク切れになっているかもしれないが、それは当方の知ったことではない)。その感想を以下に書いておく。


 かんぽの宿問題で日本郵政を批判する側の代表としては国民新党亀井静香氏が出演しており、そしてその亀井氏の論陣の張り方に対しては批判が見られる(例えば植草一秀氏による批判的コメント)。確かに、この問題を論じるのに、自分の側で資料を用意して持ち込むことなしに、テレビ局が作ったパネルに依拠して事実を論じようというのはあまりに拙劣である。私が見た限りでは、パネルの内容自体はそれほど偏ってはいなかったかもしれないが、しかし番組の出演者の構成は、植草氏も指摘しているように、司会の田原総一朗を始めとして明らかに日本郵政支持の立場だった。そういう中で論陣を張ろうとするなら、亀井氏はせめて自前の資料ぐらいは用意するべきだった。


 ただ、私自身の感想を言えば、この問題の本質は番組ではほとんど論じられていないところにある。すなわち、番組の中で竹中平蔵は繰り返し「入札に関するプロセスは調べて明らかにしたら良い」との一言で、入札をめぐる問題を片づけていたが、しかし実はこれこそが、今回の疑惑の中心的な問題なのである。果たして入札が公明正大に行なわれたのかどうか、これこそが問題の核心であり、その他の問題はそこから派生してくる問題として考えるのが適当だと私には思える。なぜそう言えるかを以下で説明しなければなるまい。


 番組の中で竹中は宮内義彦を擁護して、宮内が議長を務めた「規制改革・民間開放推進会議」は提言をしただけで、それを受けて決定を行なったのは閣議である、ということを言っていた。閣議で決定を下した政治家に責任があることはもとより論を俟たない。が、だから民間人には責任はない、ということには決してならない。国政への提言を行なうということそれ自体が既に、国の政治に影響を及ぼすということである。であるなら、自分自身或いは自分の会社に有利になるような提言を行なう、或いは、その提言を言わばてこにして自分自身或いは自分の会社の利益を拡大しようとする、といった行為は政治の私物化であり、厳に慎むべきである、と言わなければならない。竹中平蔵は、政治の私物化がどういうことかを全く理解しておらず、しかもそれが悪であることを認めようとしないのだから、政治倫理を全く欠如した輩だと言わざるをえない。


 政治の私物化が悪だとするとどうなるか。まさに今回のかんぽの宿疑惑とは、民間人である宮内が、政府の決定に重要な影響を及ぼす立場にあったことを何らかの形で利用して、かんぽの宿を安く自分の会社(オリックスの関連会社)に譲り受けようとしたのではないかという疑惑である。宮内が政治を私物化しようとしたのではないかということが問われているのである。そして、そうでないということを言うためには、今回の譲渡が、譲渡の情報がどのような方法によって周知徹底されたか(それともされなかったのか)という点から始めて、徹頭徹尾公明正大に行なわれたということを示す必要がある。だからこそ、入札の問題が決定的に重要なのである。


 番組の中で竹中は経済的損得の話ばかりをしていた。あれでは守銭奴と選ぶところはないが、しかし政治にかかわるのは、単なる損得の問題だけではない。政治においては公正、正義といったことが極めて重要な徳目であり、それが損なわれては政治は崩壊する。だから、例えば賄賂はだめなのである。そしてもちろん同様に、私物化はだめなのである。それが理解できない竹中平蔵は、政治を論じるのはやめにしたほうが良い。



 ところで今回のサンデープロジェクトを見てもう1つのことがわかった。すなわち、朝日(テレビ朝日朝日新聞の両方を含む)は、かつて新聞の社説でかんぽの宿問題で日本郵政を擁護する暴論を発表していたが、その立場をまだ捨てていないようである。どう見ても経済界の太鼓持ち以上でない財部誠一なる輩はもとより論外として、私は、番組に出演していた朝日新聞の政治担当編集委員星浩氏が、植草氏の言うほど「竹中氏サイドに立った発言に終始」していたとは思えなかったが、しかし、「改革勢力 対 抵抗する官僚」という図式を無思慮にこの問題に当てはめていたようには見えた。これが意味するのはつまり、星という輩もまた、自分でこの問題の何が本質かといったことを考えたり調べたりしようとしていないということである。その同じ態度が、かつて社説におけるくだんの暴論を書かせたのだと思う。
(なお、私が知りえた限りでは、朝日新聞の問題の社説――1月18日1月31日――の著者は星氏ではなく、経済畑の論説委員で川戸和史とかいう御仁であるらしい。経済畑の論説委員としては以前には高成田亨氏がいたが、氏は既に定年を迎え、確か現在は石巻支局長だそうである。)


 星浩といい、問題の社説の著者といい、新聞社で禄を食んでいながら、裏をとって発言することをしないこの有様は、朝日新聞の劣化、さらにはメディアの劣化と評さずして何と言えようか。全くもって言葉もない。