当たり前と思えるのにできていないこと:一事不再理の国際化、凶悪犯罪の時効撤廃


 考えてみると、いろいろな話題を聞いていて「当たり前と思えるのにできていないこと」にぶつかることは時々ある。このほど報道された、いわゆるロス疑惑事件の容疑者(正確には元容疑者と言うべきだが)のアメリカ(領)での逮捕の報を聞いて、そのようなことに改めて思い当たった。


 例えば、殺人のような凶悪犯罪について、日本以外の諸国では時効がないらしいが、日本では確か25年という時効がある。実際問題として、発生後数年を経た後には犯人逮捕の確率は低くなるのだろうから、捜査をする側が一定の限度を設けるのは理解できない話ではない。しかし当然ながら、それと時効とは話が別である。殺人の場合で言えば、被害者の遺族側が真相究明を求める思いは、25年経っても消えるものではあるまい。さらに、被害者が行方不明の場合に、何十年も経った後に改築された家などから死体が発見されることも時としてある。そのような場合、犯人が誰かも当然わかるわけだが、わかっても時効によって有罪とされないというのは、どう考えても道徳に反する。法律が道徳に反するのはおかしいと言わざるをえない。


 他方で、このロス疑惑事件との関連で考えなければならないもう1つの問題とは、一事不再理という法律上の大原則(日本国憲法第39条に規定がある)が破られてはいないかということである。民衆知の集大成と言えるWikipediaには、同項目について

 一事不再理(いちじふさいり)とは、ある事件について、確定した判決がある場合には、その事件について再度、実体審理をすることは許されないとする刑事訴訟上の原則。
(中略)
 もっとも、日本の国内法においては、他国の裁判所で無罪が確定している事件を日本で訴追することは一事不再理の範囲に及ばず、あくまで日本の裁判所において無罪が確定していることが必要である。日本の裁判所で無罪が確定している事件を他国で訴追することについても、当該国が同様の立場を取っていれば、同様である。

とあるが、一事不再理の原則のそもそもの精神に照らすなら、この説明の後半で言われている理屈は全然正しくないのではないか。というのも、一事不再理の原則とは、被告人の人権のための原則だからである。少なくともまともな法治国家において一度裁かれたのなら、同じ事件について二度裁かれるのは、明らかに被告人の人権を侵害することだと言わざるをえない。そのように考えてくると、そもそも米国で発生した事件について日本の司法が裁くことになる段階で、(私は法律用語には不案内だが)当該事件に関する管轄権の移管とでもいうようなことも行なわれるべきだったのではないか。またもし、そのようなことを取り決めた条約なり協定なりが当時なかったのであれば、今後の問題として、早急に整備が図られるべきではなかろうか。


 これと似ているのは犯罪人引渡し条約だが、これは(私の誤解でなければ)日本で行なわれた犯罪の実行者が国外に逃げた場合にその犯罪者を日本国内に連れ戻すための条約だろう。二国間での取り決めを必要とする(らしい)この種の条約の整備も日本は極めて遅れているという。今回、ロス疑惑事件に再び光が当てられたことは、むしろこのような意味での問題の存在をあぶりだすことになっているようである。


 さらに言えば、この問題に対する政治家や官僚の反応は極めて冷淡であり、日本政府・外務省が日本国民を守る気概を有するのかどうかを甚だ疑わせる。メディアの記事としてはNHKニュースの記事があるぐらいだが(なお、NHKの記事は消えるのが早いため、末尾に転載しておくことにする)、これを見ると、高村外相にせよ鳩山法相にせよ、身柄引き渡しを求めないとか捜査協力の可能性に言及するとかで、日本国民の人権を守るという気概のかけらすら感じられない。本ブログでは既に鳩山法相に対しては政治家失格を申し渡したが、高村外相も同断だと言わざるをえない。しかもこの高村という政治家は既に外相を経験済みであり、今回は再登板(再々登板?)のはずだが、それでこのていたらくである。日本の外交のあり方は全面的再検討を必要とすると言わざるをえず、そして当然ながら、それは政権の総取り換えから始めなければならないだろう。


 「当たり前と思えるのにできていないこと」というのは、折にふれて目にとまるものである。今後も気がついたらできる限り取り上げていきたいと思う。


 以下はNHKの記事(URLはこちらこちら)の転載。

外相 身柄引き渡し要求はせず


 高村外務大臣閣議のあとの記者会見で、いわゆるロス疑惑事件で、三浦和義元社長が日本で無罪が確定したあと、同じ容疑でアメリカの警察に逮捕されたことに関連して「法的にはまったく問題はないが、あまり普通のことではないと思う。アメリカ側が身柄を確保しているので、日本側に引き渡すかどうかはアメリカの司法当局が考えることで、日本政府が身柄を引き渡せと要求する法的根拠はない」と述べました。
2月26日 12時5分

法相 捜査協力要請あれば検討


鳩山法務大臣閣議のあとの記者会見で、いわゆるロス疑惑事件での今後のアメリカ側への捜査協力について、「一般論として言えば、アメリカと結んでいる条約では、同じ事件で日本で無罪判決が確定していることが直ちに捜査協力を拒否する理由とはならない」と述べ、アメリカ側から捜査協力の要請があれば、検討することになるという考えを示しました。
2月26日 11時50分


追記
 今回の記事を書くきっかけとなったのはこのブログである。弁護士の日常が具体的に記されていて非常に興味深いブログであり、未見の方には一瞥をお勧めしておきたい。


追記2
 言葉の問題について。「一事不再理」という言葉は「一事不再審理」をつづめたつもりなのだろうが、理という字は基本的に名詞を表す字なのではないか。とすれば、不(これは動詞を否定する否定辞)の後に「理」が来るのはおかしい。むしろ「一事不再審」と言うべきかもしれない。ただ、本来の意味を言うなら、「審」とは「つまびらかにする」の意であり、「審」≠「審理する」である(つまり、「審理する」という語においては、審と理の字が組み合わさって、異なる意味が生成している)。だから、厳密に言えば、「一事不再審」もまた正しくないと言うべきかもしれない。字義だけから言うのなら、たぶん「一事不再訊」(「訊」はもちろん「訊問」の「訊」)あたりが正しいということになるのだろう。