人を死に至らせた「運用の誤り」――責任追及がなされるべき


 数日前に報道された「日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡」という記事(末尾に引用)は、今の日本の政治がいかに酷薄であるかを白日のもとにさらした記事だったと言ってよいが、それの続報として「生活保護法解釈誤り、不当な運用 北九州市」という記事が出ている。引用しておくと

生活保護法解釈誤り、不当な運用 北九州市
2007年07月17日08時56分


 生活保護行政のあり方が問われている北九州市で、長年にわたって生活保護法の解釈を誤り、不当に申請を受け付けない運用をしていたことが分かった。同法は、本人の資産や能力の活用を、保護を受ける前提条件として「要件」と定めるが、同市は、親族による扶養の活用も「要件」と解釈。親族に扶養が可能かどうか確認しない限り申請書を渡さない運用をしていた。厚生労働省は「間違い」と指摘し、同市も誤りを認めた。


 簡単に申請を受け付けない窓口対応が「水際作戦」として批判されてきたが、市民の申請権を侵害する運用の一端が明らかになった。


 同法は、預貯金や生命保険など資産や能力の活用を保護の「要件」とし、3親等以内の親族の扶養は、保護に「優先」して行われるもの、と定めている。「要件」は、保護を受ける前にすべて活用することが求められるが、「優先」の場合は必ずしもそうではない。


 だが、市内部の手引書では面接手順で、申請を受け付ける前に「保護要件の検討」として、資産の保有状況などと並列して親族の扶養が位置づけられている。


 05、06年に生活保護を受けられなかった男性が孤独死した事件が起きた同市八幡東、門司両区の担当者らは、市の保護行政検証のための第三者委員会で「扶養は保護の要件」と発言。窓口に来た本人が親族に扶養できるかどうか確認するまでは申請書を渡さない運用をしていた、と説明した。


 孤独死した2人は福祉事務所に足を運びながら、申請書さえ受け取れなかった。事務所は、いずれも関係が複雑な親族に扶養が可能かどうか話し合うよう求めていた。


 厚生労働省保護課は「要件と優先は異なる。親族に確認しないと申請書を渡さないというのであれば、間違った運用だ」としている。


 同市の小林正己・地域福祉部長は「北九州市の組織全体が扶養を要件として認識してきた」と誤りを認め、第三者委員会が今秋にも出す結論を「尊重したい」と話した。

 単に言葉の上で「誤りを認め」今後については勧告を「尊重する」、で終わりでは、亡くなった人々は到底浮かばれないだろう。


 確かごく最近、北九州市は市長が変わり、元民主党衆議院議員が市長に当選したはずである。考えてみれば、民主党の議員が地方政治に転身して知事その他の首長になった場合に、それ以前とそれ以後とで行政のありようがどういうふうに変わったか、という点の検証がもっと今以上に行なわれるべきではないだろうか。そういった人々の当選は、(たいていの場合、それ以前には親自民党的な首長がいたと想定して大過ないのであれば)当の地方行政における政権交代を意味するのであり、彼らは政権交代のテストケースを自ら体現していると言ってよいのだから、当選以後行政がどのように変化したかを見ることで、政権交代の実がわかると言えるのではあるまいか。


 では、この北九州市のケースでは、政権交代の実はどのようにして示されうるか。一案として、これまでの同市の生活保護行政のあり方全体を、過去数十年にわたって検証することが行なわれてよいのではないか。そしてその中で、具体的に何件、同様にして生活保護「辞退」が強要されていたか、またその他に生活保護をめぐるトラブル(もちろん、逆に行政の側が、暴力団などに対して不当な生活保護の援助を行なっていたケースもあるかもしれない)なども、膿みを洗いざらい出す意味で公表してみてはどうだろうか。そしてもちろん、問題があったそれぞれの時に生活保護行政の担当をしていた役人及びその上司は、氏名公表の上処罰の対象とされるべきである。


 と書いてみて改めて記事を読むと、確かに第三者による検証委員会が既に活動しているとあるから、その方向で話は動いているものと期待したい。しかし、役人自身の処罰にまで及ばなければ、行政の連中は懲りずにまた同じことをやるだろうと懸念される。必ずや、具体的に問題に関与した役人の処罰にまで及んでほしいし、そうでなければ、政権交代の実は、実際には大したことないという話になってしまうのではないだろうか。


 なお、今回の問題の最初の報道となった記事は次のとおり。

日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡
2007年07月11日16時16分


 北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。男性は昨年末から一時、生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も残されていたという。


 市などによると、10日、男性宅の異変に気づいた住民らから小倉北福祉事務所を通じて福岡県警小倉北署に通報があり、駆けつけた署員が部屋の中で、一部ミイラ化した遺体を発見した。目立った外傷はなく、事件の可能性は低いという。


 男性は肝臓を害し、治療のために病院に通っていた。市によると、昨年12月7日、福祉事務所に「病気で働けない」と生活保護を申請。事務所からは「働けるが、手持ち金がなく、生活も窮迫している」と判断され、同月26日から生活保護を受けることになった。


 だが、今春、事務所が病気の調査をしたうえで男性と面談し、「そろそろ働いてはどうか」などと勧めた。これに対し男性は「では、働きます」と応じ、生活保護の辞退届を提出。この結果、受給は4月10日付で打ち切られた。この対応について男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと記していたという。


 その後も男性は働いていない様子だった。1カ月ほど前に男性に会った周辺の住民によると、男性はやせ細って、「肝硬変になり、内臓にも潰瘍(かいよう)が見つかってつらい」と話していたという。


 小倉北区役所の常藤秀輝・保護1課長は「辞退届は本人が自発的に出したもの。男性は生活保護制度を活用して再出発したモデルケースで、対応に問題はなかったが、亡くなったことは非常に残念」と話している。


 同市では05年1月、八幡東区で、介護保険の要介護認定を受けていた独り暮らしの男性(当時68)が生活保護を認められずに孤独死していた。06年5月には門司区身体障害者の男性(当時56)がミイラ化した遺体で見つかった。この男性は2回にわたって生活保護を求めたが、申請書すらもらえなかった。


 こうした市の対応への批判が高まり、市は今年5月、法律家や有識者らによる生活保護行政の検証委員会を設置し、改善策を検討している。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。