メディアの首根っこを押さえる方法

 戦前には出版法・新聞紙法などというものがあって言論統制が行なわれ、そして戦争が間近くなってくると用紙,フィルムなどの資材統制が行なわれ、言論は窒息していったという。検閲があって伏字があり、言論統制は露骨だったが、露骨ゆえに、統制が行なわれていることはまだしも見えやすかった。


 それに比べると、現代においてメディアの首根っこを押さえる方法というものは、だいぶ洗練されていると言ってよいのかもしれない(もちろん、皮肉として言っているのである)。すなわちそれは、次の記事によれば、広告を通じてメディアの首根っこを押さえるというものらしい。
官庁頼みの広告事情背景に 地方新聞社など「動員」問題


 この記事の中で気になるのは次の部分である。

 今回、動員が発覚した「裁判員制度全国フォーラム」の場合、電通最高裁に示した仕様書には、参加人数「約200人以上」などと明記されていた。ある関係者は「新聞社側は、参加者を集めなければ連合会の受注が減るかもしれないというプレッシャーを感じていたようだ」と話す。


 今回問題となったある新聞社の広告担当者も、「国と共催ということで緊張を感じた。電通からも会場を埋めて欲しいと言われた」と言う。


 連合会と電通は、今回発覚した動員について、圧力やプレッシャーは一切かけていない、としている。


 「圧力をかけていない」という電通の言い分は、何かどこかで聞いたことがあるような気がする。少し前の記事で取り上げた話に出てくる、安倍とかいう政治家の言い分に似ていないか。「圧力」がかかったかどうかなどということは、かけられる側に定位して判断しなければわからない話なのではないか。改めて、NHK番組改変訴訟の判決中で、政治家による圧力を否定している部分のおかしさが思われてならない。


 ともあれ、広告によって圧力をかけて、そしてさらに、次の記事に見られるような呼び出しなどをやれば、メディアなどというものは簡単に飼いならせる・・・きょうび(今日日)の権力者はそういうふうに考えるようになってはいまいか。であればなおさら、呼び出された側は、政治家側の圧力を突っぱねるようでなければならないはずだが、今回の当事者が御用メディアのフジ・サンケイグループである以上、まずそのような抵抗は見られないだろう。のみならず、いったい同じ状況で、今政治家を突っぱねるメディアが果たしてあるだろうかと思う。なければならないのだが。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。