佐藤康光棋聖の新境地・・・将棋の新時代の幕開け?

 現在挑戦手合いに出まくって絶好調の佐藤棋聖が、確立したいわゆる「定跡」の手順を好まず、いつも独創的な序盤戦を行なっていることは将棋ファンには周知である。もちろん、これは棋力がなければできない芸当であり、その意味で、佐藤棋聖が自ら恃むところが大いにあるであろうことは想像にかたくない。


 しかしどうも、そういう個人の強さといったような話だけでは済まなくなってきているのではないかと思うようになった。そのきっかけはと言えば、今回の棋王戦第1局の棋譜を見てそう思ったのである。これはものすごい将棋である。


 及ばずながら素人解説を試みてみると、まず次の局面(23手目▲3五歩)。

 ふつうはこの時期にこんなところで開戦はしないものである。


 次に27手目の局面。

 角交換を行なった将棋ではふつう5筋は突かないものとされている。27手目の▲5六歩は全く常識に反する手なのである。後手が先手のこの変な手をとがめようと動いたのは無理からぬところである。


 52手目の△8六歩以降、後手が軽やかに反撃して、飛車を2筋に転回し60手目△3六銀と打った時点では、少なくとも素人目には後手大優勢に見える。

先手はこの銀を取って、実戦の進行のとおり、すぐに飛車角両取りが打てるのだが、実戦の進行のとおり後手は飛車も角も取られずに逃げることができる(つまり、銀打ちは空振りに終わる)からである。


 これで後手がやれないはずはないのだが、しかしながら77手目▲3四飛の角金両取りがあってみると、どうしてどうして、なかなか形勢判断が難しいことに気がつく。また、80手目の飛車取りに対して先手が81手目▲7六銀と打ってこちらも飛車取りとやったのを見ると、

飛車の取り合いは明らかに後手が不利であり、先手の陣形が低くまとまっていることに気づかされる。ここでは既に先手の方が良くなっているようである。


 そして105手目▲5七金上がりが死命を制する手だったようである。

というのも、実戦の進行に見られるように、角が手に入ったため後手玉に詰みが生じたからである。といってもそれは勝敗がわかっているからこそ言えることなのであって、104手目△3八角が指された盤面を見た時には、まずたいていの人が生きた心地はしないだろうと思う。


 113手目▲6二同銀成に対して

△同玉は▲6四飛△5三玉▲4二角(!)以下詰み。5三玉でなく6三に合駒をしたならもちろん▲6一龍以下詰みである。もちろん、投了図以下も即詰みである。


 どこまでが好調さによるもので、どこまでが地力によるものなのかわからないが、プロの将棋である以上、こういう勝ちになることを何手か前にはわかった上で佐藤棋聖は指しているのだろう。そして順々に遡っていって、序盤の構想が、著しい不利をもたらすものでないことがわかっていて指していたことになるのだろう。


 とすると、どうなるのか。将棋は、他のプロの指し方を見ていて思うような、「決まりきったつまらないもの」では全くないことになる。本局の先手の指し手の感覚は、これまでの将棋とは全く異なるものなのである(一例を言えば、64手目に△2六角と王手をされるまで、先手玉は居玉のままだった)。あえて言えば、開始早々から戦いが始まるゲームであるチェスに似た感覚と言えようか(駒の利きの強さが違うので、「チェス的」とまでは言えないが)。これはものすごいことだと言わなければならない。


 将棋の世界はひょっとすると新時代に入ったのかもしれない。