NHK番組改変訴訟の控訴審判決−−評価の難しい問題と、より根本的な問題

 標記の判決に関する朝日新聞の記事は次のとおり。
「NHKが番組改変」 200万円賠償命じる 東京高裁
NHK番組改変訴訟 判決理由の要旨
「政治への自己規制」認定 NHK番組改変訴訟


 毎日新聞の記事は次のとおり。
NHK特番問題:NHKに賠償命令 番組改変「政治家意図忖度」−−東京高裁判決
NHK特番問題:東京高裁判決(要旨)
NHK特番問題:NHK敗訴 政治に弱いNHK 高裁、「予算意識し修正」指摘
NHK特番問題:NHK敗訴 「期待権」両刃の剣 「画期的」沸く原告ら
 周知のとおり、この件では朝日新聞は半分以上当事者的なところがあるので、毎日新聞の記事も参照しておく方が良いだろうと思われる(また、朝日新聞の記事の方が早くに閲覧できなくなるということもあるので)。


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 一審判決が出たのは2004年3月だとのこと。NHKの番組制作者自身による内部告発が行なわれたのは2005年1月、つまり一審判決が出てから後のことなので、告発以降今回の判決が出るまでの2年の間に相当いろいろな変化があり、それを踏まえての判決となったということなのだろう。一審判決のことは詳しくは知らないが、事件の構図を記すと、


  <取材者側>    NHK
           (下請け)NHKエンタープライズ21(当時)
           (孫請け)ドキュメンタリージャパン(DJ)
  <取材対象者側> 『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(バウネットジャパン


となっており、そして一審ではこのうちDJだけが賠償を命じられたという(賠償金100万円)。これだけを聞いても、一審判決がいかにめちゃくちゃなものであるかは明らかだろう。番組を改変したのはDJではなくNHK本体なのだから。またそもそも、孫請け業者にだけ責任を負わせるなどという根性自体が許しがたいものである。
 ともあれ、事実認定に関して比較する限り、一審判決よりも今回の高裁判決の方がより正確であるだろうことは想像にかたくない。


 但し、その高裁判決の事実認定がきわめて正確かどうかは、なお疑問の余地なしとしない。具体的に言うと、疑問が残るのは、政治家の介入があったかどうかという点についてである。この点について、判決要旨には次のようにある(朝日新聞の要旨によるが、時間順に整理すべく順序を一部組み替えてある)。

(前略)
 01年1月24日の段階の番組内容は、バウネット側の期待と信頼を維持するものとなっていた。


(中略)
 【国会議員等との接触等】01年1月25〜26日ころ、担当者らは自民党の複数の国会議員を訪れた際、女性法廷を特集した番組を作るという話を聞いたがどうなっているのかという質問を受け、その説明をするようにとの示唆を与えられた。
 26日ごろ、NHKの担当部長が安倍官房副長官(当時)と面談の約束を取り付け、29日、松尾武放送総局長らが面会。安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。


(中略)
 同月26日に普段番組制作に立ち会うことが予想されていない松尾総局長、野島直樹国会担当局長が立ち会って試写が行われ、その意見が反映された形で1回目の修正がされたこと、番組放送当日[1月30日・・・vox_populi註]になって松尾総局長から3分に相当する部分の削除が指示され40分版の番組を完成されたことなどを考慮すると、同月26日以降、番組は制作に携わる者の制作方針を離れた形で編集されていったと認められる。
(以下略)


 ついでに書いておくと、これだけを読んでも、今回の高裁判決を受けて出されたNHKのコメントに対しては批判が可能である。すなわち、NHK側のコメントは

 NHK広報局の話 判決は不当であり、極めて遺憾だ。番組趣旨の説明やその後の取材活動を通じて、相手側に番組内容に対する期待権が生じるとしたが、番組編集の自由を極度に制約するもので、到底受け入れられない。また、判決は、政治的圧力は認められなかったとしているが、NHKが編集の権限を乱用・逸脱した、国会議員等の意図を忖度して編集したと一方的に断じている。NHKは放送の直前まで、放送法の趣旨にのっとり、政治的に公平であることや、意見が対立している問題についてできるだけ多くの論点を明らかにするために、公正な立場で編集を行ったもので、裁判所の判断は不当であり、到底承服することはできない。

というふうになっているが、判決の<事実>認定によれば、問題の番組についてNHKが行なった編集作業は、具体的にはもっぱら<削除>だということになっている。削除という作業を「意見が対立している問題について<できるだけ多くの論点を明らかにするために>、公正な立場で編集を行ったもの」と言いくるめることは、どうやっても無理である。NHK側の言い分は、少なくともこの点において破綻していると言わざるをえない。


 ところで、「政治家の介入」の如何という問題である。判決要旨の中で

 なお、原告らは政治家などが番組に対して指示をし介入したと主張するが、面談の際、政治家が一般論として述べた以上に番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、証人らの証言によっても認めるに足りない。

とある文章で念頭に置かれている「一般論を述べた政治家」とは、もちろん安倍晋三のことだろう。


 しかし、上で引用した判決要旨を読むと、政治家の介入は言わば「合わせ技」で行なわれていることがわかる。つまり、「こういう(自民党の政治家たちから見れば、けしからん)番組を作るそうだがどうなっているんだ、安倍官房副長官に事前説明に行った方がよいぞ」ということは、安倍でない別の自民党政治家連中が示唆しているわけであり、そして安倍は「いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘」するという「一般論」を述べたというわけである。


 安倍自身が呼びつけて注文をつければもちろん明白な介入だが、そうでないこの場合でも、政権与党の自民党を総体として見るなら、明らかに自民党は番組内容に対して注文をつけ修正を求めた、つまり放送内容に介入したと、認定できるのではないだろうか。さらに、上記「「政治への自己規制」認定 NHK番組改変訴訟」記事によれば、判決では次のような注目すべき事実認定も見られる。

 判決は、放送前日の01年1月29日、安倍晋三官房副長官(当時)と面会した国会担当幹部が番組の試写で、プロデューサーに踏み込んだ改変を指示した、と指摘。番組制作局長が「自民党は甘くなかった」と発言したことも認めた。


 さらに、通常では知り得ない番組出演者の発言削除部分などを、政治家と関係する関係団体が把握していたことを認定。NHKから情報がいち早く提供されていた、と述べている。[当然ながら、これは「番組放映より以前に」把握していた、という意味だろう。さもなければ、「通常では知り得ない」という表現が意味を成さない。・・・vox_populi註]

NHKが政治家から何らの示唆も受けずにここまでやったとすれば、NHKは政治家へのどうしようもないゴマスリ体質があることになる。それを認めたくないのなら、NHK側としても、政治家からの何らかの圧力があったと認める方が良いだろうし、判決もまた、むしろそれを認めた方がNHKのためにも良かったのではなかろうか。


 NHKが政治家に対して過度の配慮をしたとする判決自身が、ここでは政治家或いは自民党という与党に対して過度の配慮をしているのではないかという疑いは消えないと言わざるをえない。ただ、政治家の介入を認定しない限りで、判決は最大限に踏み込んだという評価はもちろん可能なのだが。


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 ところで、本記事の表題で「評価の難しい問題」と書いたのは、編集権に対する編集者外部からの介入が、今回の判決をきっかけになし崩しに認められるのではないかという懸念があるからである。この点については、上に掲げた「NHK特番問題:NHK敗訴 「期待権」両刃の剣 「画期的」沸く原告ら」という記事が詳しいので、その閲覧をお勧めしたい。


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 最後に、今回の件に関して何がより根本的な問題かということを考えておきたい。根本的な問題は、私見によれば、今回NHKが自らの編集作業(上述のように実際には「削除」)を正当化するために引き合いに出した放送法の条項(第三条の二)にかかわる。法文を(少し長めに)引用しておくと、

(放送番組編集の自由)
第三条
 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。


(国内放送の放送番組の編集等)
第三条の二
 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2 放送事業者は(以下略)

(この第三条の二自体が編集権に対する侵害のための制度的仕掛けでないかどうかという問題をとりあえず措くとすると、)問われるべき根本的問題とは、この条項に出てくる「政治的公平さ」はどのようにすれば保たれるかという問題である。


 ここで考えるべきは、そもそも政治的に公平な意見というものを、一個人或いは一団体が持つことが果たして可能かどうか、という点である。私の考えでは答えは明らかに否、誰の政治的見解であれ、いかなる意味でも偏っていないなどというものは存在しない。であるなら、政治的公平さを保つためにすべきことは、両論併記以外にはありえないのではないか。その際当然、両論のそれぞれは十全に展開されることが望ましい。私が知りえた限りでは、問題の番組ももともとそういう作りになっていたはずである(バウネットの裁判は題材として紹介され、それを踏まえてコメントが語られることになっていたと聞いている)。したがって、NHKは、もともと番組が持っていた構成を壊し、かつ両論のそれぞれを十全に紹介するのでなくその紹介を不完全にすることによって、最もしてはならないことをしてしまったのである。しかも「政治家の意図を忖度して」。


 今回の件が言論の自由に何らかの意味で危機をもたらしうるものであるなら、その責任は挙げてNHKのへっぴり腰にあると言ってよいのではないだろうか。政治に対してもっと独立的な公共放送の存在が(NHKの強化によるのであれ、その他の手段によるのであれ)望まれる所以である。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。


追記(2月11日)
 マル激トーク・オン・ディマンド 第306回(2007年02月09日)「NHK裁判報道で見落としてはならないこと」の前半でNHK番組改変訴訟が取り上げられていた。上記記事を修正すべきかどうかを一応確認する意味も含めて視聴してみたが、変える必要はないようだ(念のため、本ブログ自体では「期待権」という言葉は使っていない)。語られていた中で私に初耳だったのは唯一、NHKの上層部が問題の番組の改変に乗り出した時に、孫請け業者(DJ)が「そんなに変えられると責任をとれない」と言って放り投げたという話である(具体的にどういうことをしたのかは不明だが)。


 ついでに書いておくと、訴訟に関する具体的な事実認識に関して、出演者(神保氏もゲストも)に不正確な点が見られた。例えば長井氏の記者会見に合わせるようにして発表された朝日新聞の記事の日づけは2005年1月12日であり(ゲストは繰り返し間違えて「1月2日」と言っていた)、また魚住氏による月刊現代の記事が出たのは2005年9月号である(一応2年前になる)。細部の誤りは、情報全体の信頼性を損なう印象をもたらしうるので、今後はもっと注意されるよう希望する(と、ここで書いても仕方ないかもしれないが)。


 マル激の後半では民放の状況が話題となっていた。この後半部分に関しては、率直に言って、ゲストの存在意義はほとんどなかったと言ってよく、ゲストが言っていたことで唯一興味深かったのは、テレビ局だけでなく新聞社内でも記事作成・編集全般にわたって外注化が進みつつあるらしいという話ぐらいだった。銀行とメディアの給与の高さについて、ゲストがそれを擁護するような発言(「そういう業種にはモラルの高さが求められており云々」といった公式論)をしていたのには唖然としてしまった。今の銀行はサラ金と提携しているではないか。メディアについては、外注化の事態を知っていてどうしてそういう公式論に甘んじることがあってよいのか。馬鹿も休み休み言ってもらいたいものである。


 後半部分で面白かったのはむしろ神保氏の発言の方で、テレビ番組の制作の裏側について、ふつう視聴者が知りようのない部分をいろいろと話してくれていた。ただ、実際に番組の企画を行なう下請け業者が金銭的に厳しい状況に置かれているという点については、一般的な形では本ブログでも既に次のような指摘を行なっており、それで問題は指摘できているはずである。その最後の部分をここに再掲して結びとする。すなわち、「ワーキングプアの問題は、自分の周囲の出来事を棚に上げて話せる問題ではないはずである。言い換えれば、今の社会の状況は我々一人一人が自ら作り出しているのである。それを自覚して、自らの周囲の状況を変えることから始めることこそが重要である」。