虚業としての政治という感覚

 刑務所が福祉施設代わりになっているという話はちょっとしたショックだった。
<「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの>http://www.videonews.com/on-demand/291300/000936.php
遅ればせながら、山本譲司氏の本を読んでみたいと思わせられた。主流メディアで取り上げられない、しかし今の日本の社会や政治を考える上で重要なこういう話題の提供を、ビデオニュース・ドットコムには引き続き期待したいものである(難しい要求をしていることは承知しているが)。


 ここでは、本論でない部分で山本氏が述べていた、虚業としての政治という点だけに触れておきたい。再見していないので正確な引用でないが、山本氏は政治家として活動していた時を振り返って、うわついた生活といったことを語っていた。言い換えれば、政治が虚業であるという感覚をもっていた、といったところだろうか。政治家に復帰する意志があるかどうか尋ねられて山本氏はないと言い切り、その理由として一方で虚業としての政治について触れ、他方で、福祉に携わっている氏の今の仕事は、少しずつだが現実を変えているという実感の持てる仕事だと語っていた。そしてその関連で、厚生労働省法務省の人間と勉強会を行なっているといった話もしていた。


 山本氏が実感から述べていることは、たぶんそのとおりなのだろう。また、確か編集後記でも語られていたと思うが、特に野党の議員の場合、自分が法案を作ってもそれが現実に法律になる可能性はほぼ全くないので(と言うと言いすぎかもしれないが)、余計に政治が虚業(虚しい稼業)に思えるとしても不思議はない。
(ただ、野党議員だから虚しいという言い方には、与党議員に対する買いかぶりがありはしないだろうか。野党議員が虚業なら、与党議員もそれに劣らず虚業なのではなかろうか。政策の本体、そしてそれの具体化としての法案は、官僚機構の中で作られるのであり、虚業でない政治の部分は実際には、かつての自民党税調でもない限り、官僚に取られてしまっているのではないかと思われる。)


 しかし、問題は、現実を変えるというその現実が、単に自分が働いている福祉の現場だけでなく、より一般的にこの国の福祉のありようというような広い現実である場合で、そこには、山本氏が「虚業」と切って捨てようとした政治が、否が応でもかかわってこざるをえない。もちろんそのようなことは、「虞犯・触法等の障害者の地域生活支援に関する研究」(http://www.airinkai.or.jp/ken-gs/index.htmlというページを参照)という厚生労働省関連の研究プロジェクトにかかわっている氏は、十分にわかっているのだろう。


 では何が、政治を虚業と思わせ感じさせるのに与って影響力大なのだろうか。思うにそれは、政治の舞台で問題にされる事柄が、現実に存在する社会問題のごく一部しか掬えていない、しかも(語弊はあるが、あえて言うなら)人目につきやすいチャラチャラしたところしか掬えていない、というような事情に存するのではなかろうか。今回の番組でもこの関連で、金になる福祉事業とそうでない福祉事業(刑務所が福祉施設代わりになっているのは、この後者の福祉事業を担当する施設としてだということだった)という違いがある、ということが語られていた。ここからさらに、話をメディア批判につなげることは容易である。


 しかし、政治が全く無駄な問題のみを扱っているわけでは無論なく、またメディアも、社会問題を歪んだ形で人々に認識させるためにのみ活動しているわけでは必ずしもないことは、これまた言うまでもない。では、すべきことは何なのか。


 具体的な手立ての一つは、例えばの話、毎回の国会で可決・成立するすべての法律の内容について、一般人に理解できる言葉で説明を行なうことなのではなかろうか(もちろん、同じことは地方議会にも当てはめて良い)。ここで肝心なのは「すべての法律」という部分である。すべての法律を総覧することができれば、たぶんそれを通じて我々は、漠然とではあれ、単に今の日本社会がどういう問題を抱えているかだけでなく、どういう方向に向かおうとしているかについても、何らかのイメージを持つことができるようになるのではなかろうか。政治が虚業であり、メディアが歪曲であるという、その根源は結局のところ、主権者たる我々の側の無知と、その無知に基づく判断(どういうことを言う政治家が威勢が良いとか、どういう番組を放送するメディアが人気があるとか)に存するからであり、その主権者たる我々がよりまともな知識・情報を得ることこそが、まず何よりも重要だと思われるからである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。