アザデガン油田開発の失敗の意味すること

 「イラン・アザデガン油田開発:日本側権益10%に 「イランに65%譲渡」で合意」
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kaigai/news/20061007ddm003030033000c.html
 「アザデガン油田で日本、開発主導権手放す 権益10%に」
http://www.asahi.com/business/update/1006/146.html
というニュースが報じられた。以前から懸念されていた話ではあるが、ついに現実のものとなってしまった。私は経済にはほぼ全く不案内だが、日本の政治のあり方を考えるという観点からこの問題を考えてみたい。


 今回、日本側の国策石油会社、国際石油開発が権益を手放すに至った理由としては、例えば次の解説などでも指摘されているように、
「イラン・アザデガン油田開発:日本権益削減 エネルギー政策に打撃 交渉決裂は回避」
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kaigai/news/20061007ddm008030151000c.html
イランの核開発問題が挙げられている。詳しいことはわからないが、最初に引用した記事によると、イランの核開発に強硬に反対しているアメリカに配慮してだろう、日本側が交渉の中で「イランの核開発問題が解決し開発地域の地雷除去が終わらない限り開発を始められないと主張し、イラン側と対立し」、結局イラン側による日本側権益の大部分の買い取りに至ったとのことである。イラン側が引き取った権益が今後どのように利用されるかはわからないが、1つの可能性は、世界中で資源獲得に躍起になっている中国の企業の参入ではないかと思われる。


 今回の話は実に愚かなことだと言わざるをえない。というのは、イランが主張していること、すなわち核の平和的利用は、それ自体は何ら問題ない、全くの正論だからである。同じく核非武装国であって核開発を行なっている日本は、むしろこれを積極的に支持し、かつイランの核開発に積極的に関与することを通じて、イランの核利用が核兵器開発につながらないよう監視するといった役割をこそ担うべきだった。


 もちろん、そのようなスタンスは一朝一夕では国際社会に認められるものではないのであって、ずっと前からそのような態度で一貫していなければならなかった。すなわち、核兵器の開発は原則としてこれを一切認めず、万が一、それにもかかわらず新たに核兵器保有国が出現した時には、(もちろん不完全な仕組みだが)核拡散防止条約その他の条約への加盟を促すなどして、そういった国が野放し状態にあることを防止する、そういう努力をふだんからするべきだった。その上でイランの核開発問題に関して積極的に容認の姿勢を示せば、仮に少数意見になったとしても、それなりの説得力はあるはずである。日本の利害はアメリカの利害とは同じでないのだから。


 日米安保条約の堅持ありきという発想が日本の外交をだめにしているということの好例と言えよう。