選挙区定数判決の根本的な問題

 10月4日に出された、選挙区定数格差が合憲か違憲かという問題に関する最高裁大法廷判決についてだが、
参院選:「1票の格差」5.13倍は合憲 最高裁
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061004k0000e010103000c.html
今回の判決ぐらいでたらめな判決もないようである。なぜかというと、訴訟は2004年7月に行なわれた参議院選に関するものであるのに、その選挙の区割りが合憲か違憲かどうかの判断をする中で最高裁は、選挙後に決められた「4増4減改正」を「評価に値する」としているようだからだ(判決文を見たわけではないので、「ようだ」と伝聞形にしておくが)。合憲という結論が先にあった上での判断だと言わざるをえず、全くめちゃくちゃである。


 なお、この機会に、どの裁判官がこの判決で合憲との判断を述べ、どの裁判官が違憲との判断を述べたかを記録しておくのは無意味であるまい。以下の情報の出所は次の記事である。
http://www.asahi.com/national/update/1004/TKY200610040461.html
合憲・・・町田顕、上田豊三、島田仁郎今井功堀籠幸男(以上、裁判官出身)、那須弘平(弁護士出身)、甲斐中辰夫、古田佑紀(以上、検察官出身)、津野修(行政官出身)、藤田宙靖(学者出身)
違憲・・・泉徳治(裁判官出身)、滝井繁男、才口千晴、中川了滋(以上、弁護士出身)、横尾和子(行政官出身)


 しかしながら、選挙区定数判決の根本的問題は、そのようなところにはないと私は思う。そもそも、このような訴訟がこういう形で行なわれること自体がおかしいのである。


 理由は簡単である。すなわち、何を以て合憲・違憲とするかを問うならば、答えはおのずから、法のもとの平等という大原則を基準とする以外にありえないはずだ、となろう。参議院の独自性などということが言われるが、現実には参議院の独自性は、政局の如何にかかわらず解散がなく、議員が任期一杯を務めるという点にこそ、そしてその点にのみ、あると言うべきであり(それ以外の参議院の独自性が現実に存在するのか?)、であってみれば、定数格差の合憲・違憲の状態を判断する原則が衆議院と異なるべき理由は全くない。そして、衆議院に関する定数訴訟でどのような原則が確立されてきたか、私は不案内にして知らないが、しかし判例がどのようであれ、法のもとの平等という大原則からすれば、格差が2倍未満でなければならないことは明白である(つまり言い換えれば、或る人が1票しかもたないのに他の人が2票もつことはあってはならない)。ここまでの部分を一言で言えば、定数格差をめぐる合憲・違憲の判断基準は、格差が2倍未満かどうかというものでなければならない、ということである。


 そして、判断基準がこのように具体的・客観的に定まったならば、当該選挙が合憲か違憲かは、選挙の公示日の状況がわかった時点で瞬間的に判断できる。そうでなければならないのであり、理屈に合う考え方はこれ以外にないと言ってよいだろう。だから、定数格差の訴訟など、本来必要ないはずであり、仮に行なわれるとしても、訴訟が提起される当日−−そしてもちろん、それは選挙の公示日以降ではありえないはずである−−のうちに、最高裁判決が出されるのでなければならない(或いは、事務手続きがあり裁判官が集まって話をするなどの手間を見込んで−−もっとも、訴訟の内容に関する話は1分もかからないはずである−−、2、3日のうちにと言ってもよいが)。そして、もし選挙が違憲状態で行なわれようとしているなら、最高裁は自らの威信にかけて、その選挙の実施を阻止しなければならない。


 言うまでもなく、選挙区の定数を、選挙で選ばれる連中である国会議員が自分で客観的に決められるはずはない。これは自明である。だから、選挙区の定数は、まず定数格差をめぐる合憲・違憲の客観的判断基準が司法によって決められた後で、自動的に選挙管理委員会か何かがこれを決めるべきである。決めるための算式を予め明らかにしておくことも望ましいだろう。


 このように考えてくると、問題は結局、定数格差をめぐる合憲・違憲の客観的判断基準を明確に定めることを司法がやってきていないという、司法の怠慢に帰着することになる。なぜ司法はそこまでして政治(この場合は立法府)に屈従するのか。社会的正義をぎりぎりのところで支えているのは司法であるはずだけに、政治におもねる司法府のこのような姿勢は徹底的に批判されなければならない。