「劇場型政治」へのマスコミの責任


 別にマスメディア批判に特化したいわけではないが、昨年の今頃は総選挙の最終盤戦の時期であり、小泉政権は争点を郵政民営化一本に絞り、反対派を除名して「刺客」を送るなどし、これをマスメディアは一幕物の劇よろしく、面白おかしく伝えていた。国民の民度が低いからこそメディアの伝え方も低次元のものとなるというのはそのとおりかもしれないが、しかし逆に、メディアの伝え方が低俗だからこそ国民の民度が向上しないという面もあるはずである。マスメディアは、単に国民の関心に応えるというだけでなく、国民の民度を高めるということについても責務を負っていると言うべきではなかろうか。


 そのような観点から見た場合、看過しえないのは小泉首相の昨日の次の発言である。
「「離合集散は世の習い」 首相、復党容認の姿勢」
http://www.asahi.com/politics/update/0906/002.html


 この記事によれば、小泉は

郵政民営化問題で離党した郵政反対組の復党について、「離合集散は世の習い。自民党を出ていった人が自民党に戻ってきたり。野党だった人が与党になったり。与党だった人が野党になったり。世の習いなんです」と述べ、復党を容認する姿勢を示した

とのことだが、しかし1年前には、ほかでもなく反対派を除名した小泉の姿勢(それを「潔さ」という形で報じたマスメディアがどれほどあったことか)に共鳴して自民党に投票した有権者が多数いたのである。言うまでもなく、そのような理由で自民党に投票した有権者は、今となっては、自分の投票行動が正しかったかどうか、自ら真摯に反省するべきだろう。しかしそれだけではない。「刺客」騒動を面白おかしく伝えたマスメディアは、そのような誤った投票行動を行なった個々の有権者よりも遥かに重い責任を有するはずである。マスメディアはこの責任をどう取ってくれるのか。


 過去のことだ、忘れた、で済まされる話では全くない。