きわめて危険な安倍政権


 次期首相に担がれるであろう安倍晋三は、前任者の小泉と同様で、考える頭というものを持ち合わせているようにはおよそ見えない。小泉は安倍をこの1年間官房長官のポストに置き、勉強を余儀なくさせるという配慮をしてみせたが、しかし50すぎになっても中身が空っぽのままの頭の中に、仮に情報だけ詰め込んだところで、どうなるものでもない。


 しかし、頭が空っぽである、つまり論理で動かない人間だからこそ、安倍政権はきわめて危険な政権となることが懸念される。なぜか。


 小泉のやり方を間近で見ていて、安倍が間違いなく学んだであろうことの一つは、ぶれない、或いはいったん言った言葉は撤回しない、これが政権維持のためには重要だ、ということだろうと思われる。小泉のやり方はまさにこれ、すなわち馬鹿の一つ覚えだった。その馬鹿の一つ覚えの最たるものが、小泉の唯一のキャッチフレーズ、彼が中身をろくに理解せずに長年繰り返してきていた言葉、郵政民営化だった。しかし、そのような姿勢が国民に支持されるということを昨年の総選挙は示し、そのことを安倍は学んでしまったのである。


 さらに、小泉はその馬鹿の一つ覚えの中で、何が日本の政治の地雷原とでも言うべきものなのかを指し示した。靖国問題がそれである。靖国問題を持ち出せば政治は必ず紛糾する。政権が他にどのような問題をかかえて窮地に陥っていようとも、その話題を吹き飛ばすだけの力を靖国問題は持っている。但し、言うまでもなく、それは日本の政治をより深い泥沼の中へと吹き飛ばすものなのだが。


 ところが、安倍には小泉にある一つのものが欠けている。それは、小泉の変人性である。小泉は、政治家でありながら利権に無頓着だ(と言われる・・・本当のところは知らないが)、また贈答品を受け取らずに着払いで送り返し、派閥政治家としてふるまおうという気配がみじんもないなど、小泉に対する人々の期待は、小泉のこのような変人性にも基づいているところが間違いなくあった。これは本来カリスマではないが、しかし小泉が首相になってしまったために、これがカリスマとして機能した面があることは否めないように思われる。これに対して、安倍は全くの凡人、才能を欠いたただの凡人である。


 以上を踏まえて安倍政権の行動を予測するとどうなるか。


 靖国問題が政治を紛糾させるのは、それがナショナリズムにかかわるテーマだからである。いかなる意味でも自らにカリスマがそなわっているわけでない安倍は、政権の求心力としてナショナリズムを引き合いに出すだろう。ここ数日のニュースを見ていると、そのような傾向は既に明々白々だと言ってよい。例えば安倍は村山談話を反古にしようとしているようである。愚かな安倍には、一国の首相が先の戦争について、靖国神社遊就館で語られているような歴史観、つまり自衛戦争であり日本は悪くなかったというような考え方を支持することが、どのような意味をもつのか、未だにわかっていないのではなかろうかと思われる。しかし、カリスマに欠け、単に左翼が感情的に嫌いだ程度の頭しか持ち合わせていない安倍には、ナショナリズムに訴える以外の選択肢は見えないのだろう。その流れで、教育基本法の改悪、防衛庁の省への昇格などは位置づけられてくるのだろう。共謀罪(その創設がどれほど重大・深刻な含意を有するかということも、安倍にはわかっていないだろう)の創設は、社会を不安のナショナリズムへとあおるための好適な道具として位置づけられてくるかもしれない。


 安っぽいナショナリズムを打ち出した先には、知的軽量級のブッシュ米大統領がやっているのと同じく、社会の不安を煽るという手法がとられるのではあるまいか。共謀罪が創設されていれば、不安を煽ることなどは簡単である。テロの計画があったと称して、自政権に敵対する政治勢力の周囲にいる人々を共謀罪で逮捕すればよいのである。


 このような政権の方針は、議論で変更させようとしても無駄である。なぜなら安倍は、よく考え抜いてその結論に立脚して行動する、というような人間では全くないからである。しかも安倍は、ぶれないことが政権維持の要諦だということを学んでしまっている。安倍政権がきわめて危険な政権となることが懸念される所以である。