臓器移植法A案の可決を断然批判する


 まさにどさくさにまぎれて、という感じだが、臓器移植法の採決が行なわれ、最も悪いA案が可決され成立してしまった。


 どの議員がどの案に賛成・反対したかはこのページ(非常に探しにくいが)から見ることができ、また新聞でも報道されているのでわかることだが、A案可決については自民党の議員の大多数が賛成に回ったことが大きかったようである。


 新聞報道によると江田議長は「解散で廃案になるより一定の結論を出した方がいい」とコメントしたとのことだが、全く同意できない。見識ある判断を出すことこそが何よりも重要であり、その意味からも慎重な審議こそが必要だった。特に、参議院良識の府を自称するのであればそれが求められたはずである。参議院は自らの存在意義を証する機会を逸したと評さざるをえない。


 A案の可決により、私の誤解でなければ、脳死体となる可能性のある患者・負傷者は、当人が臓器提供をしないという意思表示を明確にしていない限りは、皆脳死判定の対象となりうることになる。これが、A案が「脳死を人の死とする」案だと評される所以であり、そのように評することは間違っていない。そしてもちろん、だからこそA案は極めて問題なのである。


 そして今後、臓器移植の供給増のために救急医療がおろそかにされるようになる懸念がある。これは、いくら救急医療それ自体に携わる医師が懸命に救命を試みようとも、である。なぜなら、救急医療は今後いっそう臓器移植医療とのせめぎ合いの中に置かれることになるからである。さらに、「臓器移植先進国」であるアメリカでは、脳死基準を満たしていない場合でも生命維持装置を外した直後に臓器の摘出を認めるというピッツバーグ方式なるものがあると聞く。このように、脳死基準なるものをいったん認めると救急医療がなしくずしにされる危険性が現にあるのである。このようなおぞましい事態に道を開く今回の国会の議決は幾重にも批判されなければならない。


 ともあれ、今回A案に賛成した国会議員は、よもや自分たちはただ賛成しただけだなどとは思ってはいるまい。何しろ、国会の決定は法として国民全体を縛るのだから、当然、A案に賛成した議員は残らず、臓器提供の意思を明確にして、仮に自分が脳死状態になった場合には必ず、心臓を含めて臓器を提供するようにしてもらわなければならない。臓器を摘出されるいわゆる脳死体(もちろん正しくは、生きている人間)は、摘出の際には体温が上昇し(つまり、摘出という侵襲に対して抵抗し)、時にはのたうちまわることもあると私は聞いているのだが。