第二次補正予算案の採決をめぐって――両院協議会をどう考えるべきか


 定額給付金を盛り込んだ第二次補正予算案が成立した、否、成立してしまった。予算について衆議院参議院の議決が異なったため、衆議院の議決が国会の議決となったというわけである。天下の愚策との評判が高い定額給付金については、既にいろいろなところで言われているが、創価学会がその一部を信者に上納させて自らの活動資金とする可能性が高いこと、また、一般の国民は受け取るだけは受け取るだろうが、それを消費に回すようなことはしない可能性が高いこと、したがって、景気対策としては全く機能しないであろうこと、といった点を記しておかなければならない。何しろ愚策だということである。


 ただ、実際には単に予算案成立となったわけでなく、両院の議決が異なったため、両院協議会なるものが開催されている。そこで、この協議会の運営についてここで触れておきたいと思ったのである。


 自民党参議院議員の世耕氏は自らのブログにおいて、両院協議会で徹底的に議論しようとした民主党を口を極めて批判している。一部引用しておくと、

 民主党両院協議会を使って補正予算案成立の引き延ばしを図った。まったく意味のない抵抗戦術である。


 予算について憲法衆議院の優越を規定している。両院協議会で成案を得るには3分の2以上の委員の賛成が必要であり、自民党が政府原案通りを主張している以上、成案をえる可能性は皆無である。万一気まぐれな衆議院側代表がいて参議院側に同調して3分の2以上の賛成で成案を得たとしても、国会法ではその成案を衆議院で採決することを求めており、そこで否決されたら原案通りとなるのである。であるならば両院協議会は速やかに「成案を得られない」ことを確認した上で散会し、できるだけ早く衆議院の議決通りに予算が成立するようにすることこそ、予算の衆議院優越を定めた憲法に則った行動である。


 今回の民主党の抵抗戦術は、憲法の精神を無視した、形を変えた新たな牛歩戦術と言ってもいいだろう。日頃護憲を叫んでいる民主党の一部議員達はどう考えているのだろうか?

 世耕氏は、両院協議会での議論を実質的なものにしようとした民主党のやり方を「憲法の精神を無視した」「抵抗戦術」だと批判している。しかし、そう言う世耕氏自身は、果たして憲法の精神がどういうものなのか、おわかりなのだろうか?


 言うまでもなく、「予算の衆議院優越」などということは、憲法の「精神」と呼ぶに値する事柄ではない。それは単なる規則でしかなく、その規則を支える考え方こそが、憲法の「精神」と呼ぶにふさわしい。では、その憲法の精神とはどのようなものか。これは、予算の衆議院優越という規則が実は、例外を定めた規則である、という点に即して考えていくことによって明らかとなる。


 なぜ「予算の衆議院優越」が憲法に定められているのか。言うまでもなく、予算の決定が滞ることがあると国政に重大な支障が生じる懸念があるからであり、だからこそ、特に予算については、憲法が定める二院制という、憲法の精神の表れと評してよい制度を歪めてまで、衆議院優越ということを定めているのである。このように考えてくれば、「予算の衆議院優越」が例外を定めた規則であるということは、明々白々だろう。


 では、本来憲法が期待しているのはどういうことか、憲法の精神とはどういうものか。言うまでもなく、議論が尽くされることをこそ憲法は期待しているのであり、それこそが憲法の精神に合致している。だからこそ、日本の議会は二院制になっているのであり、そして、両院協議会なるものがわざわざ憲法(第59・60条)において規定されているのである。


 さらに、今の政治状況は周知のように「ねじれ国会」である。政治勢力の一方の側が自らの主張をゴリ押しすることはできにくい状況であり、またそういうゴリ押しは望ましいことでもない。しかも、上述した天下の愚策「定額給付金」に対しては、あらゆる世論調査で否定的な意見が圧倒的多数を占めている。いやしくも国会議員が多少とも民意を自分の行動の際に参考にしようとするなら、定額給付金を削除した参議院案に賛成する議員がもっと増えてよいはずである。であれば、両院の議決が異なったことを奇貨として、今一度補正予算のあり方を考え直すことがあっても、少しもおかしくないのである。


 上で引用した世耕氏の言葉は、そのような政治状況を無視し、憲法の精神の何たるかもわからずに、ただ「予算の衆議院優越」という規則を盾に自らの正当化を図る、まことにお粗末な議論だと評さざるをえない。



 世耕氏の主張と比較する意味で、本ブログをお読みになる方には河田弁護士の主張を一読することをお勧めしたい。また、同弁護士とも交流のある江田五月参議院議員(現在は議長)の講演録もあり、その中でも両院協議会の可能性について興味深い指摘が見られる。