「研究目的の受精卵作製を容認」は倫理的に見てどう考えてもおかしい


 扱いの小さな記事だが、その意味するところの重大性に鑑み、ここでとりあげ批判を加えておきたい。朝日新聞の記事からの引用である。

研究目的の受精卵作製を容認 国の専門委
2009年1月26日21時54分
 これまで、研究目的では原則として認められていなかった実験室での人の受精卵の作製について、文部科学省厚生労働省の合同専門委員会は26日、生殖補助医療の研究目的に限り、認めるとした報告書を了承した。総合科学技術会議に提出した後、指針をつくる。


 報告書では、夫婦以外から別々に提供された精子卵子を使うことも認めた。精子卵子不妊治療などのために提供されたものに限る。受精卵は個体としての発育が始まる14日以内に廃棄し、子宮内に戻さない。また、提供者には十分な説明をし、保存と研究利用への同意を得ることが必要とした。

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 報告書は「受精卵は個体としての発育が始まる14日以内に廃棄し」として、これならOKとでも言いたげのようだが、いかがなものか。そもそも何を以て個体としての発育と言うのか。受精卵がいのちを宿した時点でそれは個体であると考えることもでき、否、そう考えることこそが、いのちとは何かという根本問題に照らしても、正しい考えだとしなければならないだろう。


 であれば、受精卵の利用を認めることは、人間を実験に利用するのと同じだとみなさざるをえない。これは重大な人権違反であり、そもそも人間の尊厳を踏みにじる所業だと言わざるをえない。いかなる人間にも、そのような所業をしでかすことが許されてはならない。このような報告書は断じて認められない。
(なお、言うまでもなく、「14日以内に廃棄し」などという期間制限は、実際に受精卵の利用が始まれば、なしくずし的に緩められていく危険が高い。ただ、このような危険があるから報告書は認められない、というような次元の問題ではない。今回の報告書は原理的に誤っているのである。)


 私の誤解でなければ、確かバチカンは、脳死者からの臓器移植を認めるという重大な過ちを犯していると思われるが、こと受精卵や胚細胞の利用に関してはこれに断固反対の立場を貫いていると思われる。その限りでは、(私はカトリックではないが)バチカンの立場に全面的に賛成である。


 こういう問題は、たとえ本ブログのような場末のブログであっても、或いはその他どのような形でであれ、一人一人が声を上げていくべき問題だと私は思う。今回この問題をとりあげる所以である。