検証が必要――サミット関連の馬鹿げた警備でいくらかかったか


 洞爺湖サミットが9日閉幕したそうだが、そこで何が話し合われ、何が話し合われなかったかといった内容については、他のメディアなりブログなりに任せたいと思う。どのみち大したことは語られていなかっただろう、というのが当方の見立てであるのだが。


 それよりもここで言いたいのは、いったいこの間の馬鹿げて仰々しかった警備はいったい何だったのかということである。サミット開催中の3日間が一番甚だしかったのだろうが、東京くんだりでは開催より遥か以前から、電車に乗ると「特別警戒」などという言葉がアナウンスの中で語られたりしていた。そしておびただしい数の警官をこの間町なかで目にしたのは、私だけではあるまい。先日などは白バイやらパトカーやらが道路に数多く出ており、おかげでふだんは流れの良い交通の流れが極めて悪くなった。あの警備のせいで、ふだんなら起こらないような事故すらあったのではないかと勘繰りたくなる。


 いずれにせよ、一番問わなければならないのは、この間の警備(大)強化のためにいったいどれほどの支出が行なわれたか、ということである。数十億、数百億の単位で済むのかどうか。自衛隊機を飛ばし、全国から警察官を東京圏及び北海道に集め、当然そういう人々を宿泊させといったことで、ひょっとして数千億の単位の金がかかっていたのではなかろうか。そこまで警備を強化する必要が一体全体あったのか。そのような必要は全くなかった、と私は思う。


 つまり、こう考えてみればよいと思うのだが、例えばもし明日、つまりサミットが終わった翌日に何かのテロが起こったらどうなるか。これまでの厳重な警備は(それがサミット終了とともにお役御免となっていたとするなら)水の泡だったことになりはしないか。さらに2日後、3日後だったら、或いは1週間後だったら、と考えてみる。1週間後であろうが、或いは半年先、1年先であろうが、テロ行為が行なわれれば、それは日本社会にとっては大打撃となるだろうと思われる。そしてテロ行為は、そもそもその性格上、未然に防ぐことが極めて困難である。であるなら、もしこれまでの厳重な警備がテロ防止のために本当に有用だったなら、今やめるのはおかしくて、むしろ年がら年中これまでのような厳重な警備が行なわれるべきだとはならないだろうか。しかし実際には、そういう考えを支持する人はほとんどいないだろう(私も支持しない)。そもそも、今回のような警備がテロ防止のために本当に有用かどうかは極めて疑わしい。テロ防止のために必要なのは、全く別なこと、例えば、テロに走る人々を生み出すような環境をなくしていくこと、そのような方策だろうと思われる。


 長々と言ったが、要するに、いったい今回の厳重な警備は何の役に立ったのか、と問いたいのである。もし何の役にも立たなかったのなら、いったいなぜ、役に立たないそんなことに巨額を費やしたのかと、次に問わなければならない。当然ながら、この馬鹿げた警備に要した費用は、国民から徴収された税金によって賄われたはずだが、誰がそんな支出を許可する決定を下したのか。もちろん最終的な決定権者は福田のバカだろうが、ともあれ、今回の警備は本当に必要だったのか(必要でなかった可能性が極めて高い)、この点が批判的な検証に付されるべきだと私は思う。やるべき警備は、要人の交通の安全の確保と、サミット会場の警備の確保、これだけで充分だったはずであり、それだけで収まらない今の世の中こそが狂っている。そう思わずにはいられない。