日本人よ、よく考えよ――なぜこのビラ配りがいけないのか?


 またもやこういう事件が起こっている。嘆かわしい限りである。朝日新聞の記事を引用することにする。

集合ポストへ議会報告投函 共産市議に住居侵入容疑
2008年7月3日3時0分


 東京都国分寺市共産党市議が、同党市議団発行の「市議会報告」を市内にあるマンションの集合ポストに投函(とうかん)したとして、東京地検八王子支部に住居侵入容疑で書類送検されていることが2日、分かった。この市議と共産党国分寺市議団は「オートロックのドアの外側にある集合ポスト周辺は事実上、だれでも出入りできる。ここへの投函が罪にあたるはずがない。市議会報告の配布は市議活動として必要な行為だ」と批判、不起訴処分を求めている。


 書類送検されたのは、幸野統(おさむ)市議(27)=1期目。


 小金井署によると、市議は5月18日午後5時ごろ、国分寺市本多1丁目のマンション1階の玄関にある集合ポストに党市議団発行の市議会報告を配布するため、マンションの敷地に侵入した疑い。敷地には、関係者以外の立ち入りを禁じた張り紙があったという。


 幸野市議によると、当日、市議会報告を投函中に、マンションの住民1人から注意を受けた。この住民とは初対面だったが、注意されたため「投函をやめる」と話したという。しかし、納得してもらえず、この住民と一緒に近くの交番に行ったとされる。その後、同署はマンションの管理組合から被害届が出たのを受けて6月9日に書類送検した。


 ビラ配布をめぐっては、東京都立川市自衛隊官舎で反戦ビラを配布した市民団体のメンバーが住居侵入罪で逮捕・起訴され、今年4月に最高裁で有罪が確定。また、同葛飾区のマンションでも、共産党のビラを配布するためにマンション内に入った住職が同じ罪で逮捕・起訴され、東京高裁で有罪判決(昨年12月)を受けて最高裁に上告中だ。いずれも集合ポストへのビラ入れではなく、各戸の玄関ドアにビラを入れていたケースだった。


 最高裁は立川の事件の判決で、憲法が保障する「表現の自由」も無制限ではなく、「公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を受ける」と指摘。そのうえで、塀で囲われた官舎の敷地や各戸の玄関前までは自衛隊側が管理しており、関係者以外の立ち入りを禁じる表示があったことや被害届が出ていたことを重視するなどして、「管理者の意思に反して立ち入り、住民の私生活の平穏を侵害した」と結論づけた。


 ただ、最高裁判決でも、国分寺市議のようにオートロックの扉の外にある集合ポストにビラを入れた場合にどう判断すべきかについては明示されていない。また、この判決が商業ビラと政治ビラを区別しなかったため、憲法学者から批判の声が上がっていた。(石川幸夫、田内康介)

 言うまでもなく、このケースで警察が書類送検したのは批判されるべきことだろうが、最も問題なのは、苦情を言ったという当の住民自身である。


 既に同種の問題について、本ブログでは自らの立場を明確にしている。すなわち、次の過去記事で触れたことだが、
ビラ配りをどう扱うべきか――知恵の問題
政党ビラ配布事件、有罪判決の異常さ
(最高裁で出される見込みの)全くおかしい有罪判決――立川のビラ配り訴訟
このようなケースでそもそも有罪判決が出てしまうことは全くおかしいと言わざるをえないが、しかしその中でも、今回のケースの異常さは際立っていると言えよう。なぜなら、今回のケースは集合住宅のオートロックの外にある集合ポストへの投函が問題視されているからである。このケースが、もし今回の書類送検から立件・起訴となったなら、日本ではもはやビラ配りは不可能(何をやっても法に触れる)ということになりかねない。これはどう考えてもおかしい。


 くだんの住民の馬鹿さ加減には全くもって言葉がないが、自分がビラをもらいたくなければ、自分のポスト(もちろん、問題の、オートロックの外にある自分用のポストのことである)にそれとわかるように「ビラお断り」というシールでも貼っておけばそれで十分である。それでもなおビラを入れる者がいたなら、警察に通報すればよいだろう。それで済む話である。今回のような問題を起こしてビラ配りができなくなった場合には、もし自分が何らかのトラブルに巻き込まれて不特定多数の人に訴えなければならなくなった時にも、ビラ配りができなくなる。しかも、自分だけでなく、そのようなことを考える大勢の人が、ビラ配りができなくなるのである。そういう社会的影響になぜ思いを致さないのか。この住民は、少し考えればわかるような、そのような常識的な社会性を全く欠如していると言わざるをえない。


 警察は書類送検をしたが、検察がこれを立件・起訴するようなことがあってはならない。冗談ではなく、断じてあってはならない。


 それにしても、これほどまでに自己中心的であり社会的視野を欠く人間が住んでいる日本社会とは何という悲惨な社会なのだろうか。この社会の劣化を嘆かずにはいられない。


追記(7月17日)
 当の書類送検がどうなったかを気にしていたところ、今日の報道で、不起訴処分になったということが伝えられていた。朝日新聞の記事を掲げておくことにする。

市議を不起訴に 集合ポストへの議会報告投函で地検支部
2008年7月17日16時47分


 東京都国分寺市内のマンションに許可なく立ち入り、集合ポストに市議会報告を投函(とうかん)したとして、住居侵入容疑で書類送検されていた同市の共産党市議について、東京地検八王子支部は17日、不起訴処分とした。送検後、マンションの管理組合が被害届を取り下げたことなどが考慮されたとみられる。


 書類送検されていたのは、幸野統(おさむ)市議(27)。5月18日午後5時ごろ、同市本多1丁目のマンション1階玄関にある集合ポストに共産党市議団が発行する市議会報告を配布するため、同マンション敷地内に入った。関係者以外の立ち入りを禁止する張り紙があったという。管理組合の被害届を受けて6月9日に書類送検されたが、今月3日、管理組合は「地域での関係を悪化させたくない」として被害届を取り下げていた。


 幸野市議は不起訴の判断に対し「当然のことと考えている」と話している。

 とりあえずは良かったと言いたい気もするが、しかし既に書いたように、この一件の真の問題は、被害とやらを訴えた住民の側の意識にある。このような自己中心的かつ反社会的な意識で「被害」を言いつのられてはたまったものではない。警察がそもそも書類送検したことも、(被害届が提出された一件の処理の仕方として全く理解できないわけではないが)やはり批判されるべきではなかろうか。ビラを配れる余地を残すこと、受け取りたくない人は(「ビラお断り」等の意思表示を明確にすることで)受け取らないで済むようにすること、そしてもちろん、受け取ってもよいと思っている人は受け取れるようにすること。これが重要だと思う。私人の一軒家なら別だが、そうでなく集合住宅の場合には、ビラ配り及び同種の行為のために敷地内に一歩でも立ち入れば住居不法侵入だなどと騒ぐことは、常識的に考えていかがなものか。そういう常識が重要である。