秋葉原の凶行事件に関する論評について


 ここで記しておきたいのは、表題で言及した事件について「若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏をゲストに迎えて」行なわれた第376回マル激トーク・オン・ディマンドで語られていたことへの感想だが、まず私は東浩紀氏なる人物をほとんど全く知らない。今回の事件に関して氏が朝日新聞に寄せた寄稿文は一読したが、そこで語られている「テロ」という言葉には、率直に言って違和感を覚えた。若い世代の間に広範に今の社会に対する不満が存在し、その不満の発現という意味で今回の事件がテロと呼べるのだという氏の主張を番組で聞いて、多少は理解できなくもないが、しかしなお違和感はぬぐえない。というよりむしろはっきり、単純に東氏の言い方は誤りだと思われる。つまり、仮に若い世代の間で不満が存在するとしても、それが何らか明確な主張(もちろん、社会の改革ということにかかわる主張)に結晶しているのでない限り、その不満に由来する行動をテロと呼ぶのは正しくない、と言わざるをえない。


 ただ、言葉の問題をここでぐだぐだ述べたいわけではない。それよりも気になったのは、若者のそのような不満にどう対処すべきかについて、浅薄で多弁な知識人宮台と東氏の間で言葉が交わされていたが、その中で二人とも、グローバリズムに代表される今の社会の動きは抗いようのないものであり、それを肯定した上でどう身を処すべきかが問題だ、というたぐいの議論をしていたことである。今や自らの立場としてはっきりネオリベを標榜し出したおしゃべり男については今さらつける薬はないが、対する東氏がそれに同調していたのはどういうことなのか、私にはわからない。氏もまたネオリベを支持する立場なのか、それとも社会問題を社会問題として考えつける癖がないのか。しかし、他でもなく今の社会の動き自体が若者の不満を生み出す根本原因となっているのであれば(もちろん私自身は、それこそが根本原因だと思う)、それを肯定してしまっては話にならないのではあるまいか。


 ならばお前は何と言うのか、と問われるだろうか。グローバリズムを悪たらしめている最大の問題である国際的資金移動については、既に本ブログの別の記事で考えを述べてあるので、ここでは繰り返さないこととし、そのグローバリズム下における日本社会のあり方について述べることにすると、一言で言えば、今の日本で行なうべきは、所得税累進課税を今よりも遥かに強化することである。そしてそれによって得られた税収を、生活保護拡充や、低所得者層支援、さらには社会福祉といった分野に振り向けるべきだと考える。言うまでもなく、今の社会に対する不満の一半は、格差の存在・拡大というところに由来しているのであって、そのような状況下にあって累進課税の強化は、日本社会が全体として平等化を指向することを方針として明確に打ち出すことを意味する。つまり、累進課税の強化は、単に税収増をもたらすだけでなく、その事柄自体が不満への対処という意味を帯びているのである。


 ではなぜそれが今の社会ではできないか。もちろん、究極的には金持ちたちの言い分が政策に反映されているからだろうと思われるが、それを忖度して言うなら、国際的な競争の時代では、カネを稼ぐことのできる人々に国内にいてもらわなければならないが、税金負担が重いとそのような人々が海外へ出ていくことになり、それは日本経済の国際競争力の低下という形で跳ね返ってくる、だから金を稼げる人々はそれなりに遇さねばならない――大体こういったところではなかろうか。この理屈はそれ自体としても決して正しくないと私は思うが、しかし、言えることはそれだけではない。


 すなわち、こういう言い方では、日本人が海外に出ていく(流出していく)ことが容易に可能であるということが前提されているわけだが、果たして本当にそうだろうかと私は思う。日本語ネイティヴである人であって、海外に出ていっても言葉の面で全く不自由がなく生活ができる、という人の数はごく少数ではないかと思われる。そういう不自由を我慢してでも海外に暮らしたい人には海外に出て行ってもらうがよい。そういう人々は日本社会には必要ない。しかも、日本で事業に成功した人の場合、海外に出ていくということは、その成功した事業基盤を失うということにもなりうるのであり、そうまでしてでも日本から出ていきたいのなら、自分から不遇を買って出たいということになるのだから、それを引き留める必要などありはしない。日本社会に必要なのは、日本に残って仕事をして活路を見いだそうとする人々である。(同じことは個々人についてだけでなく企業についても言える。日本社会に必要なのは、いわゆる日本企業とされながらむしろ海外で主たる生産を行なうというような企業ではなく、日本に所在し日本人に雇用をもたらしつつ事業の活路を見いだそうとする企業――その場合、その企業がいわゆる日本企業かどうかはあまり重要でない――である。)


 累進課税の強化に対するもう1つのありうべき反対理由は、勤労意欲がそがれるというものだが、これはもちろんインチキである。実際には、多額の税を持っていかれてでも多くの金が残るようにすべく、勤労意欲はむしろ高まるのではあるまいか。そもそも、働いて金を儲けるということには、(その際の労働がいわゆるマネーゲームのようなものでないとしても――なお、付け加えておくと、私は金融市場・証券市場での取引を労働とはみなさない――)一種ゲーム的なところがあるし、またそもそも金儲けには向き不向きがある。儲けるための活動意欲が税制の如何で大きく変わるというのは、人間理解として当たっていないように私には思われる。


 このように考える私にとっては、今回のマル激はいつもにも増して物足りなかったと言わざるをえないが、しかしこのゲストとおしゃべり男にはそもそも多くを求めるべきでなかったのかもしれない。なお、東氏が朝日新聞に寄せた寄稿文は、Googleのキャッシュでなお見ることができるようである。また、マル激トーク・オン・ディマンドへのリンクはこちら