みどりの日と昭和の日――昭和天皇を記念する意味など全くない


 新聞の紙面を見て気がついたが、5月4日は今や「みどりの日」なのだそうである。私の記憶違いでなければ、5月4日が祝日となったもともとの所以は、祝日と祝日の間の日を祝日とするという法律にあるはずで、その法律の制定時にはその「間の祝日」には名前などなかったはずである。そして言うまでもなく、もともとみどりの日という名の祝日だったのは4月29日、すなわち昭和天皇の誕生日である。


 昭和の日というネーミングのまずさについてはここで云々するつもりはない。昭和を祝うぐらいならむしろ、明治維新によって日本が大きく変貌を遂げたことを記念する意味で、「明治の日」があったほうが、日本人の歴史意識の涵養のためにはよほどましかもしれない(なお念のため、「明治の日」=明治天皇の誕生日、と考えているわけでは必ずしもない)。


 問題なのはむしろ、昭和天皇は果たして、その死後も長く記念されるに値する輩かどうかという点である。こう書くぐらいだから、この問いへの私の答えはもちろん否定的である。日本に破滅をもたらした第二次大戦へと向かう戦前の当時の政治状況がどのようなものだったのであれ、もし天皇自身が一命を賭して戦争開始を阻止したなら、日本は戦争を回避することができただろう。この一事を以て、昭和天皇こそが最も重い戦争責任を負う存在であることは明らかである。天皇制を廃止しないまでも(因みに私は、天皇制は民主主義に全く矛盾すると思っているので、天皇制の廃止には全く賛成である)、少なくとも昭和天皇は、第二次大戦の惨禍に対する責任をとって天皇を退位すべきだった。その天皇を祝日によって記念することには、「昭和の日」が昭和天皇の戦争責任を子々孫々に語り続けるきっかけに或いはなるかもしれぬという点を除けば、何らの意義も認められない。昭和天皇の誕生日を祝日にする意味など全く少しも存在しない。


 ただ、もちろん私とて、4月29日が祝日となっている理由の一半がその日取りにあることを知らないわけではない。しかし日取りが主な理由であるのなら、むしろ祝日とすべきはその前日の4月28日ではなかろうか。なぜなら1952年4月28日こそが、サンフランシスコ講和条約が発効して日本が国としての独立を回復した日だからである。つまり、独立回復記念日として4月28日は国家的記念に充分値する日なのである。


 こういうふうに言うと、お前は右翼かと言われるだろうか。しかし、4月28日の祝日化を唱える勢力が右翼であれ左翼であれ存在するなどという話は、私は不案内にして聞いたことがない。自主防衛を求めて憲法改正を主張するのであれば、まず重視すべきは国家の独立ではあるまいか。それならば当然、そのように考える者は4月28日の重要性に着目するはずである。ところが現実はそうなっていない。つまり、自主防衛の必要性を主張する巷間の憲法改正論者の思想は、その程度に浅薄なものなのである。