日本が法治国家であることを否定する福田首相――空自イラク活動違憲判決を受けて


 空自イラク派遣は憲法9条に違反しているとする名古屋高裁の判決が出された。関連記事は末尾に引用することにするが、判決自体は極めて当然の内容である。ただ、こういう当然な判決が高裁段階で出されることはこれまでなかったように思われるので、その意味では、この判決を歓迎する旨を記すのは不当でないだろう。


 それに対して驚くべきは、そのような違憲判決を受けてこの国の首相が、空自イラク派遣について「どうこうする考えはありません」、つまり派遣をそのまま続けると言ってのけたことである。そのことを伝える朝日新聞の記事はこちら。

空自イラク活動は継続 首相「どうこうする考えない」
2008年04月17日20時48分


 政府は、名古屋高裁の判決はイラクへの自衛隊派遣に影響しないとの立場から、空自による輸送活動を継続する方針だ。福田首相は17日夜、記者団に「判決は国が勝った。(違憲判断は)判決そのものには直接関係ない」と述べた。また、今後の空自の活動についても「裁判のためにどうこうする考えはありません」と明言した。


 首相は来年7月に期限が切れるイラク派遣の根拠法の再延長については「その時の情勢がある。法律の趣旨にかなっているかどうか、その時に考える」と述べた。


 また、町村官房長官は記者会見で「総合的な判断の結果、バグダッド飛行場は非戦闘地域の要件を満たしていると政府は判断している。高裁の判断は納得できない」と判決への不満を表明。自衛隊の活動への影響は「全くない」と強調した。

 いったいこの福田という輩は、日本が法治国家であることを忘れたか、それとも無視しようとしているのだろうか。


 名古屋高裁の判断は、空自イラク派遣が憲法違反だということを明確に示している。であるなら、憲法第99条により憲法擁護義務を負っている者である首相は、その違憲状態を解消する責任を負っているはずである。であるなら、違憲状態を解消しようとする姿勢を見せない首相は、自分自身が違憲状態にあると言わなければならない。そしてそれにもかかわらず、自らが首相を辞めようともしなければ、航空自衛隊違憲状態を解消しようともしない福田首相は、日本が法治国家であることを忘れたか、それとも無視しようとしていると断ぜざるをえない。


 ほとほと、福田首相は日本国の首相にふさわしくないと思わずにはいられない。速やかに解散し、総選挙で与党を敗北させ、政権を交代させるに如くはない。


 名古屋高裁の判決を伝える朝日新聞の記事は以下のとおり。
(なお、付け加えるとすると、違憲だとの判断を示しながら、高裁判決が派遣差し止めを求める訴えを退けたのは全く理解できない。行政府の判断だからという理由でそうしたのなら、裁判所は法の番人としての使命を果たせていないことになる。当然ながら、派遣中止との判断が示されるべきだったと思う。)

「空自イラク派遣は憲法9条に違反」 名古屋高裁判断
2008年04月17日20時44分


 自衛隊イラク派遣の違憲確認と派遣差し止めを求めた集団訴訟控訴審判決が17日、名古屋高裁であり、青山邦夫裁判長は、航空自衛隊が行っている現在のイラクでの活動について「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示した。首都バグダッドは「戦闘地域」に該当すると認定。多国籍軍の空輸は武力行使を禁じた同法と憲法に違反すると結論づけた。原告が求めた派遣差し止めと慰謝料支払いについては原告敗訴の一審・名古屋地裁判決を支持し、控訴をいずれも棄却した。


 全国各地で起こされたイラク派遣をめぐる訴訟は、一部は最高裁決定もすでに出ているが、違憲判断が示されたのは初めて。このため、「敗訴」したものの、原告側は上告しない方針を表明している。「勝訴」した国は上告できないため、違憲判断を示した今回の高裁判決が確定する見通しだ。


 判決はまず、現在のイラク情勢について検討。「イラク国内での戦闘は、実質的には03年3月当初のイラク攻撃の延長で、多国籍軍武装勢力の国際的な戦闘だ」と指摘した。特にバグダッドについて「まさに国際的な武力紛争の一環として行われている人を殺傷し物を破壊する行為が現に行われている地域」として、イラク特措法の「戦闘地域」に該当すると認定した。


 そのうえで、「現代戦において輸送等の補給活動も戦闘行為の重要な要素だ」と述べ、空自の活動のうち「少なくとも多国籍軍武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸するものは、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と判断。「武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、憲法9条に違反する活動を含んでいる」と結論づけた。


 さらに判決は、原告側が請求の根拠として主張した「平和的生存権」についても言及。「9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差止請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求めることができる場合がある」との見解を示し、平和的生存権には具体的権利性があると判示した。


 ただ一方で、今回のイラク派遣は「原告らの生命、自由が侵害されるまでの事態は生じていない」と平和的生存権の侵害を否定し、差し止め請求や違憲確認はいずれも不適法な訴えだとして退けた。


     ◇


 <自衛隊イラク派遣差し止め訴訟> 元郵政大臣・防衛政務次官の故・箕輪登さんが04年1月、札幌地裁へ提訴したのを最初に、名古屋のほか、仙台、宇都宮、東京、甲府、静岡、京都、大阪、岡山、熊本で各地裁に市民が集団で訴えを起こした。これまでの地裁判決は原告側がすべて敗訴。宇都宮、静岡の両訴訟は最高裁で上告が棄却されたほか、仙台、大阪の訴訟は高裁で控訴が棄却された。いずれの判決も、自衛隊イラク派遣が違憲かどうかについては判断を避け、差し止め請求も却下されてきた。


 名古屋訴訟は04年2月に最初の提訴があり、7次にわたって3千人余が原告として名を連ねた。1〜5次訴訟について、名古屋地裁は06年4月、憲法判断に踏み込まないまま派遣差し止めを却下、慰謝料請求を棄却した。今回の控訴審には1122人の原告が参加した。


追記
 今回の高裁判決に関連して、以下のようなトラックバックをいただいた。
裁判官評価のエールを!〜「空自イラク派遣は憲法9条に違反」 名古屋高裁判断
 判決で国側を勝訴させることによって、国側の上告の機会を奪い、かつ判決の傍論部分で違憲判断を示し、よって違憲判決を言わば確定させたのは、裁判官の一種のテクニックだったというのが同ブログの主張のようである。国がかかわる訴訟の場合、上級審に行けば行くほど国の相手の側が勝訴する可能性が低くなるというのは、司法関係者などで全くない当方も常識の範囲内で知っていることではある。それゆえ、今回の名古屋高裁の判決のような仕方で判決を確定させることに、それなりの意義はあるのかもしれない。


 また、裁判官にとって、判決を出すことが時として重圧を伴うこと、或いは裁判官に対して重圧をもたらすこととなるというのも、理解できない話ではない。本ブログでも以前に、住基ネット違憲判決を出した後に不可解な自殺を遂げた裁判官のことを記事で取り上げたことがある(記事はこちら)。


 言うまでもなく、今回の違憲判決は当然な判決だと私などには思われるが、そうは言っても、当然のことが当然のこととして通らないことがままあるこの日本社会においては、そのような当然な判決を(政府に逆らう形で)出したことについて、裁判官の勇気を賞賛せねばなるまい。その点で、上記ブログに賛意を表しておきたい。


 ただ、その上であえて付け加えるなら、私自身は、今回の問題ではぜひ最高裁の判断を見たかった気がする。というのも、高裁がこれだけ明確な判断をして、しかも原告勝訴とした場合、当然国側は上告しただろうが、まさか高裁判決が明確に違憲と言っているのに、最高裁憲法判断を全く回避できるとは思えない、そこで、最高裁自体が果たして憲法を尊重するかどうかを、今回の問題ではっきりさせることができるのではないか――こう思われるからである。そしてそれによって、ひょっとすると、憲法判断を回避する最高裁という悪しき伝統が改められはしないだろうか、と期待するからである。


 また、日本では(上記の住基ネット違憲判決をめぐることでも思ったことだが)裁判官が過度に孤立する状況があるのではないか。個々人が国家と対峙するのは、たとえその個人が裁判官として、それなりの法的保障を受けられる身分にあったとしても、べらぼうな話である。裁判官が仕事のないオフの時間に、市民グループに参加したりすることが、もっと認められる雰囲気があってしかるべきではなかろうか。それが政治的偏りを生むという批判に対しては、論拠に基づく論理的・厳密な判決(今回の違憲判決のような)を出すことそれ自体が有効な反論を成すはずであり、そのようにして、開かれた司法が、単に裁判員制度の導入などということによるだけでなく、裁判官のレベルでも実現されるべきだと思う。