民主党大統領候補選びの行方


 と言っても、標記の件に関して筆者ごときに何か特ダネがあるわけではない。単に、政治の革新ということから言うなら、インパクトがあるのはやはり、クリントンよりもオバマが候補になることだろう、ということを書きたいにすぎない。


 たぶん私はマイケル・ムーアの「シッコ」(Sicko)を、見すぎたか(先日乗った往復の飛行機の両方で見た)、或いは不十分に見たか(両方の機会とも、途中で寝るか、飛行機のシステムの故障で最後まで見られなかったかして、不完全にしか見ていない)、そのどちらかなのだろうが、いずれにせよそれによって多少は教えられるところがあった。つまり、ヒラリー・クリントンが大統領になった場合、目玉の政策となるのはたぶん医療改革だろうが、これについて、ヒラリー・クリントンには大して期待できないことが明々白々だということを、マイケル・ムーアのくだんの映画は教えてくれていると思う。


 確かに、もしヒラリー・クリントンが最初に旦那の大統領の任期中に医療改革を手掛けた時に成功していれば、話は別だったかもしれない。しかし、それが挫折に終わり、その後ヒラリー・クリントン上院議員に当選して以降、保険会社から多額の政治献金をもらってしまった今となっては、ヒラリー・クリントンがやる医療改革が骨抜きになるであろうことは想像にかたくない。なぜなら、マイケル・ムーアの映画が教えているのは、真の医療改革を進める際に最も改められるべき(或いはより正確に、最も排除されるべき)は保険会社の利益至上主義だ、ということであり、そしてヒラリー・クリントンはその保険会社の支援を受けてしまっている、つまり既に毒まんじゅうを食らってしまっているからである。


 繰り返しになるが、ヒラリー・クリントンが大統領になっても、大した変化は期待できない。のみならず、ヒラリー・クリントンは亭主ともどもアメリカ大統領の座を汚す夫婦になりおおせる危険すらあるのではないかという懸念すらある。何もセックス・スキャンダルを予想しているわけではないが、対イラク軍事攻撃への賛成からも窺えるように、対外政策でヒラリー・クリントンは中途半端に好戦的である。今アメリカは撤兵すればイラクの内政を混沌状態へと陥れることになり、また撤兵しなければ今度はアメリカ国内の批判に対してもちこたえられなくなる。ならばどうすれば解決できるかについては、本ブログの過去記事私見を述べてあるが、そのようなことをヒラリー・クリントンが実行できるとはまず考えられない。このあたりの問題でヒラリー・クリントンは(大)失敗をしそうな気がするのである。


 他方で、オバマが大統領になれば、言うまでもなく黒人初の大統領ということになる。アメリカ社会について私は何ほどのことを知っているわけでもないが、しかし人種差別の根深さについては、以前アメリカを訪れた際に極めて皮相的にだが触れる機会があった。つまり、或る黒人の男性に連れられてキリスト教の教会に行ったことがあるのだが、行った先の教会のメンバーは大多数が白人で、黒人は私を連れて行ってくれた方ともう1人(女性)だけ、しかもどちらも明らかに未婚のようだった。私を案内してくれた方の両親は別の教会(確かバプティスト)に行っているらしかった。キリスト教の教会というのは、少なくとも建前上は、信徒に善行を勧める団体であるはずであり、その善行の中には「人種の別を問わず仲良くしましょう」という項目も入っているはずである。しかしながら実際には厳然と人種区別(=人種差別、と言ってしまってよいのではあるまいか)が存在するらしい。白人の教会の中に有色人種の割合が(一定程度以上)増大してはならないということについては、アメリカに住んだことのある方(日本人)から同様な話を聞いたこともある。


 オバマが人種差別の問題を解決できるなどと言いたいわけでは毛頭ない。オバマ自身は人種の問題の争点化をむしろ避けているように見えるし、実際それが問題になったなら、オバマには解決は無理だろう。しかし、自由と民主主義とを得手勝手に他国に押しつけて厄介な問題を作り出すよりむしろ、アメリカは人種差別など自らの社会が抱える大問題にもっと向き合うべきではないだろうか。そういう良い機会を、「オバマ大統領」は与えてくれるような気がするのである(これまた「気」でしかないが)。


 特に、移民の増大とともに今や人種問題が先進諸国全般に広がった(日本もその例外ではないし、加えて日本では、偏狭な愛国主義の盛り上がりとの関連でも人種問題が顕在化しつつある)今日においては、アメリカがそういう取り組みをすることは、他の諸国へも良い影響を与えることになるのではあるまいか。