ハンガリー事件の映画


 もともと映画館ではほとんど映画を見ないが、なぜかというと入場料が高すぎるからである。1回1800円はないだろう!(新作でないところではもっと安いケースもあるかもしれないが) 以前オランダに住んでいた時には、もちろんもともと映画はほとんど見ないのだが、しかしそれでも数回映画館に足を運んだ。日本円にして1回1000円以下で見られたからである。これなら、私のようなしわい貧乏人であっても、たまには行こうかという気になり、かくて、もっと多くの人が映画館に足を運ぶようになるのではないか。日本の映画産業関係者におかれては、自分たちの作った映画をもっと多くの人に見てもらいたいのであれば、もっと安くで映画を見ることができ、かつ興行が成り立つような仕組みを考えていただきたいものである。


 そういう私が今回あえて見たのは、表題に書いたように1956年のハンガリー事件をめぐる
「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」
という映画(その公式サイトはこちら)だが、これは期待にたがわず良い映画だった。ただ、あまりに強烈なので、どのように語れば良いかが難しい。
(因みに、確か昔歴史の授業では「ハンガリー動乱」と習った覚えがあるが、今から思うに、あの言い方は体制的つまりソ連的見方からする言い方だったのかもしれない。)


 あらすじと映画の背景とについては公式サイトに或る程度載っているが、ここでも一応書いておくことにする(以下ネタばれになっているかもしれないことをお断りしておく――しかしミステリーではないのだから、許されることと思う)。
 ――1956年にメルボルンで行なわれる五輪に水球の代表選手として参加することになっていた若い男(一応大学生?)が主人公で、彼は、祖国の政治的自由を求めて運動を行なっている女子学生に恋し、自らも練習をそっちのけで政治活動に身を投じることとなる。そして、曲折を経て、民衆の要求が通って駐留ソ連軍が撤退することとなったつかの間の平和の時に、五輪の代表団がメルボルンへ向かうこととなり、主人公の若い男も一行に加わることとなる。しかし、彼らがまだ旅行中だった時に、撤退したはずのソ連軍が再びハンガリーへと帰還して、民衆の運動はずたずたにされる。後ろ髪を引かれる思いでメルボルンへ行ったチームの一行は、(前評判どおりということだろう)五輪で見事金メダルを獲得した。特に、準決勝ではソ連のチームを撃破しての優勝である。ただ、彼ら選手たちに対しては、亡命受け入れの話がちらほら聞かれるなど、祖国の政治の影も差している。そして祖国では民衆の運動は徹底的に弾圧され、かの女子学生も捕えられる。最後のほうのシーンでは女子学生が刑吏に連れられて刑務所の中を歩き、どこかへ向かうが、その行方は杳として知れない。


 この映画の製作に当たっては史実に忠実であることが心がけられたとのことで、したがって、安っぽい希望は語られていない。しかしだからこそと言うべきか、自由の尊さと、それを求める人々の姿勢とに対して、共感の念を映画視聴者の中に一層強く呼び起こすことが可能となっているのだろう。


 それにしてもつくづく思うが、日本の映画人は、こういう強い政治的メッセージを持った映画は残念ながらまだ作れないのではあるまいか(末尾註を参照)。もちろんその違いは、自由のために実際に戦ったことがある国民とそうでない国民との差に由来するのかもしれないが、しかし、自由のための戦いなどということが、聞こえは良いが実際には数多くの悲惨さなしには行なわれえないものであること――そのことをも、この映画は語っている。そのような悲惨さを回避しつつ政治をより良いものにする、そのためには、(陳腐な言い方だが)やはり想像力が必要なのだろう。そして、こういう映画は、そのような想像力を養う格好の材料ないしは手がかりであると考えるべきなのではあるまいか。もちろん、この映画の見方がすべからくそのようでなければならないなどというような、野暮なことを言うつもりは毛頭ないが。


 もう1つ記しておきたいのは、(ハンガリーの映画人に対して失礼かもしれないが)映画としての完成度の高さに驚いたということである。ブダペシュトの町のあちこちで実際に戦闘が行なわれ、建造物等が破壊されたかのごとき(もちろん、多分にCGが使われているのだろうが)臨場感に何より驚いたし、また、私が気づいた限りでは、映像上いかなるアラも認められなかった。


 残念ながら東京では1月25日で上映終了とのことだが、地方ではこれから見ることができるところもあるようである。願わくは東京でアンコール上映が行なわれるよう希望したいが、ともあれ、見る機会のある方には一見をお勧めしておきたい。



 忘れてはいけない、日本の映画も捨てたものではないということを思い出した。昨年末に某所で見たのだが、日本各地で自主上映されている「日本の青空」(こちらのサイトを参照)、あれは大変良かった。良質な政治的メッセージも含んでおり(見た人ならおわかりだろうが、あの映画は映画自体が一つの論証を構成しているのである)、もちろん映像的にも素晴らしかった。したがって問題は、なぜそういう映画が日本では商業ベースに乗らないか、という形で提起されるべきなのかもしれない。