小沢民主党代表辞意表明と政権交代


 先週から今週にかけて日本の政治は急展開を見せた。言うまでもなく、突如の自民党民主党の党首会談(10月30日及び11月2日)と、それに続いて小沢民主党代表の辞意表明(11月4日)がそれであり、このような事態に至ったのは、当の党首会談において大連立が話題に上り、大連立を進めるための政策協議を行なうかどうかという話を小沢氏が(党首会談の場で直ちに却下せずに)民主党に持ち帰り、政策協議のメリットとデメリットを話し、つまり明らかに政策協議に対して前向きだったからである。


 理屈をまず言うなら、小沢氏にとっては実は政権交代などはどうでもよいということが判明したと言えるのではないだろうか。そう言えるとすれば、大変残念ながら、小沢氏は民主党の代表として全く不適格であることを自ら証明したことになる。民主党の年来の主張、というよりむしろその実質上唯一の存在理由は、政権交代を行なうことにあるからである。


 ここで、「政権交代を自己目的とすることは誤りであり、政策を実現することこそが目的でなければならないのではないか。そして、そのような立場からするなら、小沢氏の行動には一理も二理もある」、という反論があるかもしれない。この反論に対しては、小沢氏が8年前に自由党党首として行なったこと、すなわち自民党との連立を想起することが重要である。あの時も小沢氏は、自分たちの政策が実現できるならという理由で連立に踏み切った、つまり小沢氏の行動はその時も今回も全く同じなのだが、8年前の連立の結果自由党はどうなったか。一部が剥離して保守党となり、結局保守党は自民党へと吸収された。特に保守政治家の場合に言えることだと思われるが、政権党にいるうま味を知ると、どうしてもそこにいたくなるものなのであり、つまり結局、連立は数の大きな政党を利することになるのである。過去のこの苦い経験からなぜ小沢氏は何も学ばなかったのか。全く理解に苦しむ。


 言うまでもないかもしれないが、大連立は政権党としての自民党を延命させることであり、それは、長期的に見て日本の政治のために決してならない。政治がいつまでも、政権党(自民党というのは仮の名で、現状ではその本名は「政権党」なのである)というヌエ的な存在を軸に動くことになり、そのヌエ的存在に群がる利権屋(=与党政治家)と、その利権屋を養いつつ自分たちは自分たちで甘い汁を吸い続ける輩(=官僚)とはなくならないことになるからである。このよどみをなくすためにはどうしても政権交代が不可欠である。


 私見によれば、政治家小沢一郎は今回の一件で完全に自らの政治家としての芽をつぶしたと思われる。いかに小沢氏がかつて自民党の大幹事長だったとしても、政界再編のキーマンだったとしても、それはすべて過去のことであり、もはやこの政治家から何かを日本の政治のために期待するのは誤りだと思う。少なくとも私個人としては、そう思う。


 しかし、そこまで割り切れない人も世の中には少なくないだろう。そういう人々には速やかに目を覚ましてもらう必要があるが、しかし当面は、そのような人々(であって民主党に期待する人々)の意を迎える必要があろう。そこで、小沢氏には何らかの形で民主党の役員(しかも重要ポスト)に残ってもらうのが良いのではないだろうか。


追記
 「Yahoo!動画」で見ることができる「愛川欽也パックイン・ジャーナル」の最新番組の中で、田岡俊次氏が「本来、大連立は民主主義の停止を意味するのであって、具体的にそれが行なわれたのは戦時中に限られる」という、極めてもっともな正論を言っておられた。政治談議では安易に「大政翼賛会」という言葉が使われがちだが、まさに大政翼賛会も戦時体制下の産物だった。そのような非常時などでは少しもない今の政治状況で大連立が語られること自体が、当事者たち(言うまでもなく、小沢氏だけでなく福田首相も含まれる)の民主主義に対する理解の著しい欠如を露呈していると言わなければならない。