小沢民主党代表辞意表明と政権交代(続)――小沢一郎を理解するということ


 小沢一郎という政治家について、私個人の見方は昨日の記事で書いたとおりである。今回の一件について思いめぐらせばめぐらすほど、小沢一郎に対する私自身の評価は下がる一方であり、不愉快の念は強くなるばかりである。


 しかし、そのような個人的感情をここではあえていったん措き、もう少し、小沢一郎を理解することを試みたいと思う。小沢を知る人々が異口同音に「小沢は原理原則に基づいて行動する」ということを言い、その片鱗が今回の件でも垣間見られたのだとすれば、今は小沢一郎をよりよく理解すること(そしてもちろん、より根底的に批判すること)の好機なのではないかと思われるからである(なお、「批判」と書いているが、さしあたりはよりよく理解するというスタンスで考えを進めるつもりである)。


 まず、昨日の記事の中で「小沢氏にとっては実は政権交代などはどうでもよいということが判明したと言えるのではないだろうか」と書いたが、率直に言えばこれはどうにも腑に落ちない点である。なぜなら、小沢一郎は確かに何度も、政権交代が必要だという考えを述べており、そのために選挙制度改革にまで関与した(それを主導したとまで言わないとしても)当事者だからである。ではどう理解するべきなのか。


 ここで参考になるのは、小沢が昨日の記者会見で述べた言葉である。後々の参考になると思われるので、全文を朝日新聞の記事から引用しておくことにする。

小沢氏「混乱にけじめ」 「報道に憤り」とも 会見全文
2007年11月04日18時48分


 民主党の小沢代表が4日、開いた辞意表明会見での全発言は以下の通り。(別に質疑応答での全発言)


 民主党代表としてけじめをつけるに当たって私の考えを述べたい。福田総理の求めによる2度にわたる党首会談で、総理から要請のあった連立政権樹立を巡り、政治的混乱が生じた。民主党内外に対するけじめとして、民主党代表の職を辞することを決意し、本日、辞職願を提出し、私の進退を委ねた。


 代表の辞職願を出した第1の理由。11月2日の党首会談において、福田総理は、衆参ねじれ国会で、自民、民主両党がそれぞれの重要政策を実現するために連立政権をつくりたいと要請された。また、政策協議の最大の問題である我が国の安全保障政策について、きわめて重大な政策転換を決断された。


 首相が決断した1点目は、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る、したがって特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない。2点目は、新テロ特措法案はできれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力体制を確立することを最優先と考えているので、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。


 福田総理は以上の2点を確約された。これまでの我が国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるから、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。


 代表の辞職願を出した第2の理由。民主党は、先の参議院選挙で与えていただいた参議院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生を始め、国民の生活が第一の政策を次々に法案化して、参議院に提出している。しかし、衆議院では自民党が依然、圧倒的多数占めている。


 このような状況では、これらの法案をすぐ成立させることはできない。ここで政策協議をすれば、その中で、国民との約束を実行することが可能になると判断した。


 代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して国民の生活が第一の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。


 国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。


 政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。


 以上のような考えに基づき、2日夜の民主党役員会で福田総理の方針を説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案したが、残念ながら認められなかった。


 それは、私が民主党代表として選任した役員から不信任を受けたに等しい。よって、多くの民主党議員、党員を指導する民主党代表として、党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対しても、けじめをつける必要があると判断した。


 もう一つ。中傷報道に厳重に抗議する意味において、考えを申し上げる。福田総理との党首会談に関する報道について、報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、強い憤りをもって厳重に抗議したい。特に11月3、4両日の報道は、まったく事実に反するものが目立つ。


 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、今回の連立構想について、小沢首謀説なるものが社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されている。いずれもまったくの事実無根。党首会談、および会談に至るまでの経緯、内容について、私自身も、そして私の秘書も、どの報道機関からも取材を受けたことはなく、取材の申し入れもない。


 それにもかかわらず事実無根の報道がはんらんしていることは、朝日新聞日経新聞を除き、ほとんどの報道機関が、自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられない。それによって、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な中傷であり、強い憤りを感じる。


 このようなマスメディアのあり方は、明らかに報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思う。報道機関が政府与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争に突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ。


 また、自己の権力維持のため、報道機関に対し、私や民主党に対する中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥じるところがないか、自分自身に問うてもらいたい。


 報道機関には、冷静で公正な報道に戻られるよう切望する。

 ここで注目に値するのは、

 国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。


 政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。

という部分である。――といっても、これは私には全く不可解な話なのだが。


 例えば、政権に参加することが民主党政権担当能力を示すことになると小沢は考えているようだが、果たしてそう言えるのかどうか。例えば、社民党は自社さ政権に加わり首相まで輩出したが、その社民党は政権に参加したことによって政権担当能力があるとみなされるようになったかどうか。社民党の政治家自身の自意識がどうなったかはともかく、世論の見方を問うなら、答えは明らかに否である。社民党自民党の補完勢力に成り下がったとみなされ、その結果社民党の凋落傾向は決定的なものとなった(これに追い討ちをかけたのが社民党親北朝鮮姿勢だが、それ以前から社民党の凋落は抗いがたいものとなっていた)。同様に、連立政権に参画した自由党については昨日の記事で書いたとおりである。


 連立政権に参加することでどうして政権担当能力が培われるのだろうか。むしろ、自民党の補完勢力との烙印を押されることになるのが関の山なのではないか。


 ただ、小沢自身の言葉をねじ曲げることになってしまうが、上の辞意表明の文章のうち「民主党政権」というところを「非自民党政権」と読み替えるなら、全く理解できないわけではない。大連立を行なって自民党民主党が入り乱れる政権ができた後、時機を見計らって再び政界再編に打って出て、非自民党勢力を糾合して政権交代を実現したなら、小沢の言う話は現実のものとなるだろうからである。


 しかしそうだとすると、やはり小沢にとっては、民主党という政党などはどうでもよいということになる。のみならず、過去に小沢が関係してきたいかなる政党も(新生党であれ新進党であれ自由党であれ)、小沢にとってはどうでもよいということになる。しかし、政党はそんなにも簡単に改廃してよいものなのだろうか。極めて疑問である。


 もう1点、小沢の今回の行動を好意的に理解しようとするなら、民主党が今回の参院選で掲げた政策を実現する必要性は極めて大きい、したがって、政党同士の争いなどというケチなことを言っている暇はないのだ――小沢は或いはこう考えたのかもしれない。これなら、相当程度理解は可能である。しかしもちろん、そうだとしても、政府・与党に野党の政策を呑ませることは、何も連立政権を組まずとも可能なのではないか。現在のいわゆるねじれ状況のもとでは、政府・与党は相当野党の言い分を取り入れなければ政治ができないわけだから、野党が自らの政策を実現する可能性は以前よりも遥かに高くなっているのである。大連立などという、小選挙区での選挙の仕方に真っ向から反する禁じ手をやる必要は全くないと思われる。


 こう考えると、やはり小沢の今回の行動は全く理解に苦しむと言わざるをえない。また、いずれにせよ、民主党を政権担当可能な政党にまで育て上げようなどという考えは小沢にはないわけだから、現在の慰留工作を受けて小沢が代表にとどまるというのは、短期的にはありうる、また仕方ない話だとしても、長期的視野からすれば(つまり、民主党が近い将来に政権交代を実現するために、という観点からするならば)決して民主党にとってプラスとはならないだろう。「民主党は脱小沢を急がなければならない」とする政治評論家の森田実氏の考えに私は賛成である(私は森田氏の考えのすべてに賛成しているわけでは毛頭ないが)。