安倍辞任――「職を賭する」=「職を辞する」?


 昨日立花隆氏のコラムを評価する旨記事に書いたところ、当のご本尊は「政界を大混乱に巻き込んだ安倍首相電撃辞任の真相」という記事を発表して、あらぬ方向へと走り去ってしまった。まあ、それはそれでよいだろう。誰の見方が正しかったかは、そのうちに明らかになるだろうから。


 ところで、いずれにせよ不可解極まるタイミングでの辞任についてだが、今から思うに、安倍は、「職を賭する」と言った際に実は、もうじき「職を辞する」ことになるということを匂わせたかったのではあるまいか。こう考えると、話のつじつまが合ってくるように思えるのである。


 言うまでもないが、常識的な国語力を持つ人間なら誰であれ、「職を賭する」=「職を辞する」と理解しないであろうことは明らかである。もちろん両者は全く別のことである。しかし、種々言われるように貧困な国語力の持ち主である安倍のこと、ひょっとすると「職を賭する」という言葉の中に「職を辞する」というニュアンスを込められるとでも考えたのではあるまいか。


 ではなぜこのタイミングでの辞任となったのか。立花隆氏の最新記事では否定されているが、私はやはり健康問題説が有力だろうと考える。つまり、遠藤農水相の辞任騒動があって、安倍がもう何もかもいやになったとしても不思議ではない。そして、蒲柳の質のこと、それが体調にも現れてきた(下痢腹だか何かといった形で)。そこで、10日の所信表明演説の後、麻生に辞意を漏らしたが、それはちょっと待ってくれと言われて我慢したものの、代表質問が近づくにつれて下痢だか何だかの具合もひどくなる一方、そこでついに辞任に至ったのではないか。


 もちろん、こう考えても「敵前逃亡」であることには何ら変わりはないのであって、要するに安倍がひ弱な坊ちゃん政治家(からかってこう書いているのではなく、憤怒を込めてこう書いているのである)だったことは全く同じなのだが。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。