人体に影響を及ぼす可能性のある化学物質をどう考えるべきか


 マル激トーク・オン・ディマンド第334回(2007年08月24日)「ダイオキシン問題は終わっていない」が問題にしていたのは、大きな枠組みで捉えるなら、だいたい表題のようなことだろうと言ってよいと思われる。主要メディアが取り上げなくなった話題をビデオニュース・ドットコムが取り上げるのは大変結構なことであり、またそれは同社の方針にも即しているのだろうから、こういう番組は大いに歓迎したい。ついでに言えば、主要メディアが(かつては取り上げたが最近は取り上げなくなった、ではなく)未だ取り上げたためしのない話題、例えば携帯電話の電磁波が人体に及ぼす影響の問題といったようなことも、遠くない将来にぜひ取り上げてもらいたいものだとこの際希望しておくことにする。


 表題の問題に関しては、番組の最後の方で学者の考え方の変遷が述べられていた。すなわち、20世紀後半になるまでは、化学物質の毒性はもっぱら急性の症状との関連で問題にされてきたが、1970年代ごろから(私の聞き間違いでなければ、確かこうだったと思う)化学物質の発がん性が問題とされるようになり、その中でリスク評価が行なわれるようになり、リスクの低減が図られるようになってきた。しかし1990年代以降、焦点は次世代への影響という点へと移りつつある、とのことだった。そして、ダイオキシンの問題は、分解がされにくいこと、微量でも影響を及ぼしうることから、まさに次世代への影響という観点から検討されるべきだ、とゲストの学者氏は主張していた。私自身は食の問題については基本的に、(問題がないことがはっきりしているのなら)同じ食習慣・食文化を継続するべきという立場(つまり、語の本来の意味における保守主義)に立っているので、少しでも問題があるならその影響を慎重に評価するべきだというゲスト氏の主張には賛成である。


 しかし、世の中にはそういう考え方だけがあるのではないことも事実であり、例えば「環境リスク評価」の重要性を盛んに主張する中西準子女史のような方もおられる。ゲスト氏は番組の中で、主要メディアに対抗する言論としてのインターネットの可能性にも少し触れていたから、当然、インターネット上で盛んに発信しておられる中西女史のことはご存じのはずである。近い分野だけにいろいろ問題もあるのかもしれないが、しかしそれでも一言、中西女史のような立場についてコメントするぐらいのことはあってよかったのではないか。(知る人ぞ知るように、中西女史は狂牛病についても同じくリスク評価の重要性を主張し(例えばこちらのページを参照)、狂牛病問題を自らの課題の一つとしておられるビデオニュース・ドットコムの神保氏とはむしろ対極的な立場にあるようにも見受けられるが、であればなおさら、中西女史の活動への言及があってよかったと思われる。)その上で言うと、(環境リスク評価の立場からする発想なのかもしれないが)ダイオキシンの問題が、世間で使われている他の様々な化学物質との比較で、どれほど重大な問題なのかといった点について、もう少し明確な説明が欲しかった気がした。


 もう1点、番組紹介でも触れられているように、

欧州では既に未然防止の観点から、ダイオキシンを含めた化学物質を総合的に規制するシステム「リーチ」を2007年6月にスタートさせている。これにより、化学物質のリスクは、政府や消費者ではなく、企業が責任を負うことを明確化したという。便益のために次々と新たな化学物質を作り出すよりは、安全な化学物質を選んで使うという方向に、欧州は舵を切り、世界をリードしようとしている

とのことで、その狙いについてゲスト氏は、農産物に関する非関税障壁を設けることと関係があるとはっきり言っておられた。これは日本の食料安全保障を考える上で極めて重要な視点であり、日本政府も、(急速に舵を一気に切るというわけにはいかないだろうが、しかしともあれ)同様の立場で食料の安全確保を図るようにするべきではないだろうか。それによって、安全性に問題のある輸入食品の流入を防ぎ、かつ(副次的にだが)日本の農業の再振興を図るための時間を稼ぐことも可能になるように思われる。私が言うまでもなく、人間の体は物質的には確か3−4ヶ月で全く更新されてしまうそうである。未知の物質に対して、特にそれが人体に取り込まれる可能性のある場合には、我々は今よりも遥かに慎重であるべきではないだろうか。


 ついでに言えば、この最後の問いは、現代社会を生きる上での大原則の一つと化している「新しいものは良いものだ」という考え方に対しても実は異議を呈していることになる、相当に深刻な問題なのだと思う。



 最後に番組に対して苦言を一言。いろいろな内容があったとはいえ、いつもながらに番組は長すぎる。基本的には1時間半ぐらいをメドにやってもらいたいものである(これならたぶん、2倍速で聞いて1時間程度で視聴を終えられるだろう)。そのために必要なのは、やはり予め聞くべき点をもっと明確に整理しておくことだと思われる。当然、或る程度のことはしているのだろうし、そうでなければもっと長い番組になりかねない(或いはゲストがあきれて途中で帰りかねない)。しかし、聞くべき諸点をリストアップしていって、全体として番組ではどういうことが浮き彫りにされ、発信されることになるかについて、予め或る程度のイメージを得ておくこと――このあたりまで質問を予めまとめておくことは、私の見るところ行なわれていないように思われる。もちろん、そのイメージどおりに番組を持っていく必要は必ずしもない(し、そうするのはむしろまずい)のだが、全体像を予め想定しておくことで、もっと明確に見えてくることがあるのではないかと私などは思う。ぜひビデオニュースの諸氏にはご一考いただきたいところである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。