どこまでも厚顔無恥な安倍晋三――どのツラ下げて沖縄へ?

 きょう6月23日は、言うまでもなく、先の大戦において日本で唯一の陸上戦となった沖縄戦の終焉の日である。


 2年前、つまり終戦(お望みなら、敗戦)60周年を記念して、毎日新聞が「戦後60年の原点:沖縄・1945年」という長編連載記事を載せた。その6月23日の記事から少し引用しておこうと思う。

 [6月23日]午前4時半、守備軍司令官・牛島満と参謀長・長勇は自決した。牛島は鹿児島、長は福岡の人である。最後に西南の役西郷隆盛が自決した城山の故事を語ったという。


 将軍たちが舞台から去っても「最後まで戦え」の命令は生きている。投降しようとする者はしばしば背後から撃たれた。


 もし守備軍が南部を戦場とせず、首里に最後までとどまっていたら。


 もし首里放棄の前に非武装地帯を作り、住民をそこへ移す手立てを米軍と協議していたら。


 もし「最後まで戦え」と命じず、住民に対してだけでも米軍への投降を勧めていたら−−。


 「もし」はいくつもある。その一つでも実現していたら、一般住民の犠牲約9万4000という数字はかなり変わっていただろう。

 これが、沖縄戦に対する普通の認識だろう。


 そして、昨日のニュースで次のようなものがあったが、全く当然の主張である。
集団自決巡る検定意見、全会一致で撤回要求 沖縄県議会

 高校生の日本史教科書の検定で、沖縄戦の際に日本軍が住民に集団自決を強制したという記述が削除された問題で、沖縄県議会(定数48)は22日、検定意見の撤回と記述の回復を求める意見書を全会一致で可決した。意見書は集団自決について、「日本軍による関与なしに起こり得なかった」としている。あて先は首相、文部科学相などで、議員団が同日上京し、要請した。


 意見書は、文科省が集団自決について「日本軍の命令があったか明らかではない」「最近の研究成果で軍命はなかったという説がある」としているのに対し、「日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と反論している。


 そのうえで、「筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた県民にとって、今回の削除・修正は到底容認できるものではない」と批判している。

 これは沖縄だけの問題ではない。東条英機陸相の時に出された「生きて虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓のゆえに、日本軍の犠牲者の多くは、投降せず餓死したと言われる。人間の命を徹底的に粗末に扱う軍隊、それが日本軍だったのである。


 ところで、問題となったその教科書検定について安倍首相や、担当大臣の伊吹文科相は何と言っていたか。今年の4月20日教育再生に関する特別委員会で民主党菅直人代表代行が質問に立って、この検定の妥当性について問いただした際、以下のようなやりとりがあったのである。

○菅(直)委員 今、沖縄の皆さんが大変怒っておられることがあります。


 それは、まさに今おっしゃった六十年前の戦争で、沖縄の皆さんは、米軍の上陸の中で、県民の四分の一あるいはそれ以上の方が命を落とすという大変悲惨な体験をされました。その中で、集団自決ということがあちらこちらで起きて、そのことが、従来は、軍の指示あるいは命令による集団自決という形で教科書に載せられていたということでありますが、それが検定の中で外されるということになってきた。これに対して、これはきょうの沖縄タイムスでありますが、沖縄タイムスの中では、軍の命令だったということを、軍命ということを、実際に体験した人々がいろいろ証言されている、そういうきょうの新聞がここに、手元にあります。

 この検定の過程について、どういう議論があったのか、説明を、大臣でもどなたでもいただきたいと思います。


○伊吹国務大臣 (前略)家永裁判以降の検定のあり方というのは、教科書に対する客観的な専門家の調査によって、両論あることを一方だけ書くということはやらない、あるいは自分のイズムでもって書くということは認めない。

 ですから、客観的な記述になっているかどうかということだけをやっているわけで、今の御指摘についていえば、私は検定結果ということに介入をしておりません。その結果を後で教えてもらっただけですが、集団自決に対して軍の関与がなかったとは書いていないんですよ。あったということについてはいろいろな説があるから、そこのところは中立的な記述にするということだけであって、あったとか全くなかったとか、そういうことは一切書かれていない、そういう議論が行われたということでございます。


 伊吹文科相のこの答弁が実に卑劣極まるごまかしの答弁であることに、読者はお気づきだろうか。4月の教科書検定の直前に、軍の関与をめぐって裁判の判決が1つ出て、その裁判結果が教科書検定に影響したことになっているのだが、軍の関与が否定されたのは、あくまでもその一例に関してである。一つの事例で関与が否定されたからといって、教科書から軍の関与に関する記述を一切削除することが、どれほどひどい歴史の歪曲になるかは、くだくだしく述べるまでもなく明々白々だろう。なぜなら、軍の関与がはっきりしている事例が現にいくつも存在するのだから。いやしくも、検定の結果が史実を明らかに歪めるものであるなら、政治家は自らの見識を賭けて、そのような歪みを是正するべきではないか。ところが、伊吹にせよ安倍にせよそんなことは一切しない。検定の結果が自分たちにとって都合の良いものだからなのではないか、と疑わざるをえない。
 伊吹も、それを任命した安倍も、軍の関与を否定する側、つまり沖縄戦の歴史を歪める側に立ったのである。


 その安倍が、今日行なわれた「沖縄全戦没者追悼式」に参加して、次のように言ったという。

 式典で安倍首相は「筆舌に尽くしがたい塗炭の苦難を経験されたことを私は大きな悲しみとする」とあいさつ。

 このように言を左右する人間は、許されるべきでない。人間として最低である。


 良識ある人々は、このような人間が日本の首相の座に座っていることを、すべからく恥じるべきだろう。そして恥じたなら、その恥をそそぐために行動しなければならない。どうするべきか。無論、安倍を首相の座から引きずり下ろさねばならない。