安倍政権の評価(1)−−世間知らずを一国の指導者とすることの不幸

 安倍政権をどう評価するかなどということを、今さら言う必要はないかもしれないが、しかし選挙も近いことなので、安倍批判の一つのやり方を提示することができればと思い、以下に書いてみることにする。


 といっても、言いたいことは表題でほぼ尽きている。つまり、そもそも政治家とは、自分のだけでなく他人の人生をも背負うことを求められる存在だが、その課題をより良く成し遂げるためには、様々な知識を仕入れて想像力を豊かにすることが必要であり、また、世の中のいろいろな人生に触れて他人に対して共感することができる人間になる必要がある。このうち前者については、残念ながら、乏しい知力の安倍には求むべくもない。50過ぎてから人間の能力が飛躍的に向上するなどということはありえないから、これは仕方がない。では後者はどうか。見るところどうもこれも、全然不足しているようである。政治家は仕事柄いろいろな人間に会う機会に恵まれているはずだが、それにもかかわらず、である。でなければ、例えば教育問題に関して、教師を締め上げる方向での改革など考えるだろうか。


 因みに言えば、ウィキペディアの情報によると安倍夫妻には子どもがいないようである。他の問題はいざ知らず、こと教育問題に関しては、現実に学校(特に公立校)に通っている子どもがいるかどうかは、問題を真剣に考える上で非常に重要だと思われる。安倍首相肝いりの教育再生会議の議論が、保坂展人議員が繰り返し指摘するように(こちらも参照)空疎な空回りばかり続けている背景には、教育問題に対する安倍自身の不見識が反映されていると言えるのではないか。少なくとも彼は人選には深く関与したはずなのだから。


 折しも、自殺者が9年連続で3万人を超えたというニュースが報道された。政府の弁によれば、景気は回復軌道にあるはずなのだから、自殺者はもっと減ってよかったはずだが、そうはなっていない。様々な意味で日本社会が深刻な病を抱えていることの、これは現れなのではないか。そういう時に、世間知らずが一国の指導者となっているこの国は、まことに不幸な状況にあると言わなければならない。